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Web誌友会 板/2
4692
:
訊
:2014/12/17(水) 10:16:53 ID:???
>>4688
a hopeさん
上記は自壊作用に関する、私の好きな文章の紹介です。雅春先生は、本当に素晴らしいと思えます。
さて以下に同書より、もうひとつ紹介します。祈りですが、「効果があるから不調和な事が起こるのだ」・・・・・その事がよく理解できる御文章です。そして不調和の中にあっても「これは、祈りの効果が現れつつある過程である」、そう確信できる御文章でもあります。ご紹介しますが、
『生活と人間の再建』第11章「信仰生活の種々相」より謹写――
◆ 祈りの反応としての不調和
祈りの反応として現れて来る不調和な状態の中には、時として自分自身が病気になり、時として自分の愛する家族が病気に罹ることがあるのである。そんな時に祈りの効果を疑ってはならないのである。
それはむしろ祈りの効果が現れつつあるのである。すべて古きものの破壊は新しきものの実現の場所を造りつつあるのである。
発熱の中に、発疹の中に、下痢の中に、古きものが燃焼しつくされ、排泄され、新しき組織ができつつあるのである。これは祈りの応答として、神があなたに病気を課しつつあるのではないのである。肉体は魂の「機関」であり、精神の「座」であるから、発達せる魂が、尚一そう自由なる精神をその機関を使って働かせんがために、必要なる所の改造が行われつつあるのである。それは肉体の不調和の状態の如く見えているかも知れぬけれども、それは病気でもなければ不調和でもないのである。魂の機関が、精神の座が、それによって浄められつつあるのである。祈りの応答としてのかくの如き肉体の状態の意味を吾々が本当に知ることができるならば、吾々はその肉体の状態に対して、否、その奥に動いている所の浄化作用に対して「ありがとうございます」と感謝しなければならないのである。
拜
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