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Web誌友会 板/2

1647復興G:2013/06/07(金) 16:48:50 ID:AB6RqYXc

<つづき>
○ われわれはいかにしても本当に実在せる世界、すなわち「実相世界」においては神から離れることはできないのであります。(p.75)

○ 神の創造し給えるそのままの状態を念じますことを「正念(しょうねん)」といいまして、その正念の影が映れば現実世界は完全な病気も災難もない状態を現出するのであります。つまり「正念」とはあらゆる事物を神の造り給えるままの状態そのままに念ずることで、そういう正念をもって生活することを神に結ばれた生活というのであります。(p.76)

○ “正念”というのは、「ここは正念場だ」などというでしょう。「ここが正念場だ」というのは、正念を出して来なければならないギリギリの場だ、という意味であります。(『真佛教の把握』50頁)

○ 本当の神というものはただ一つ――それは力が足りないこともない、愛が足りないこともない、われわれが悪いからとて神罰をあてるということもない、といってわれわれを悪いようにも造ってい給わない(われわれが罪を犯すように見えるのは本当の相ではないのであって、念の仮作せる影であります)。無限の力で、われわれとこの世界とを実に円満完全に神そのままの相(すがた)に造ってくださった神が本当の神であります。(p.77)

○ 生長の家の神というのも固有名詞ではないのでありまして、生長の家において顧わされた宇宙神であります。しかし今まで、神はいろいろの相をもって顕われ給うたのであります。時にはいろいろの名称をもって呼び奉る日本の神々として、時には旧約のエホバ神のように怒りの神、嫉みの神の相(すがた)をもって、時にはまた、いったん万人の罪の実在を肯定しておいて、万人の罪にかわって十字架にかかるというような愛の相において、時には阿弥陀如来のように肉体死後の世界において霊魂をお浄土に救いとってくださるというような相(はたらき)において、しかし、今、神は生長の家において万教の本尊は「一」であるというその全相が実に円満完全なそのままの相で顕われ給うたのであります。(p.77〜78)

○ あなたは万事万般、どんな些細なことでも自己の内からの催しで導いてくださる本当の神にお頼りになりたくはありませんか。(p.86)

○ 神からの十全の神徳を真っ直ぐに射し込ましていただくに必要な条件であるところの、神を完全の相(すがた)において理解した上で神を信ずるというのが「生長の家」の信仰なのであります。ただ、なんでも彼(か)でも怪力だから信ずる、御利益(りやく)があるから信ずる、霊力があるから信ずるというのでは生長の家の信仰ではないのであります。(p.88)

○ 神をその十全の神徳において理解し、同時に神の創造(つく)り給える「実在世界」の実相を理解して、本当のおかげを得ていただくために、わたしは聖典『生命の實相』を世に贈り出したのであり、また毎月の『生長の家』誌を書いているのであります。(p.88)

○ 同志よ、同志を作れ、そしてこの人類光明化運動を燎原の火のごとく野火のごとく広がらしめよ。(p.93)

○ 現在の経済組織がいかにともあれ、また来らんとする経済組織がいかにともあれ、現実世界は心の世界の顕現でありますから、人間が生命の実相を悟らず、人間の征服欲が、人間の我欲が、人間の復讐欲が、現実世界を操っている以上は、そこに人間にとっての地上天国が実現すべき必然的理由がないのであります。(p.94)

○ では世界の改造運動に内より燈(ひ)を照らすものは生長の家でなければならない、だから世界の改造家がもし切実に人類を愛し、本当に地上天国をこの世に招来しようと思うならば、まず生長の家に来り地上天国の雛型たるべき各自の生命の実相を「見真」しなければならないのであります。(p.94)
<つづく>


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