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Web誌友会 板/2
3269
:
復興G
:2013/11/01(金) 14:39:17 ID:AB6RqYXc
ありがとうございます。
このweb誌友会は、毎月 『生命の實相』 を1巻ずつテキストにして勉強して行くことにしました。
それで11月になりましたから、第6巻に入ることになります。
『生命の實相』 第6巻の 「はしがき」 に、次のように書かれています。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
はしがき
人類の不幸の根元を知らない人が多い。不幸の根元のうち最大なるものは、自己を罪人(つみびと)とする人類の罪悪意識であり、その罪悪意識が潜在意識にあるがために、人類は自己処罰として一切の不幸(戦争・病気・不慮の災禍等をも含めて)をつくりつつあるのである。
罪の問題は宗教上の一大問題であり、人間に罪があるので宗教というものは存在するのであると説く宗教家さえあるのである。しかしこれは重大なる誤りであることをわたしは知ったのである。
釈尊生まれて二千六百年、キリスト降誕して二千年、無数の高徳の弟子がその道を説いて来たけれども、結局人類を救うことができないで、原爆水爆の惨禍の予想の恐怖の前に驚いていなければならないというのは、今までの宗教の説き方のどこかに、まちがいがあったからである。
そのまちがいは、罪を 「実在」 するがごとく説くことによって、かえって人類に罪を犯すように駆り立てていることである。それはあたかも、社会から前科者呼ばわりされた人間が、その言葉の実現力に駆り立てられて、再び罪を犯すようになるのと同じことである。
人類を 「罪人」 だと宗教家が呼号すれば呼号するほど、人類は自己処罰として更に再び罪を犯すようになるのである。病気も戦争も一切の惨禍(さんか)は、潜在意識の自己処罰から起こる。これは最近発表された精神科学上の原理である。
人生を、戦争や病気やいろいろの不幸な惨禍から救うためには、人類の罪悪意識を拭(ぬぐ)い去るための、精密なる理論体系を必要とするのである。その理論体系が私の「生命の実相」哲学である。
実際、人類から罪悪意識が拭い去られたならば、いかに人間が解放されるか実証として、それぞれ、この 「生命の実相」 哲学にふれた人々が誌友会に集まって、その体験談をとおして、人間が本来清浄(しょうじょう)にして罪なきことを明らかにするために語り合った実際の対話を編集したものが本書である。
罪は意識の中にのみ存在するのであって、「実在」 として固定するものでないから、イエス・キリストも 「汝の罪ゆるされたり」 の一言で、その患者の罪悪意識が消え、罪悪意識から来る自己処罰によって生じていた病気が、長期間の歩行困難の跛者(あしなえ)までが癒されているのである。
イエスにできた奇跡も、実はイエスにのみできる神秘的な奇跡ではなく、精神科学的な事実であるから、その精神科学的原理を知って、その原理を実際に応用すれば、何人(なんぴと)にもイエスと同じような奇跡的事実を実演することができるのである。
その体験談を集めたのが本書である。他(ひと)の体験といえば、なんだか他の人の経験みたいで、自分になんの関係もないことのように思う人があるかもしれないけれども、これは物理学者が物理実験室やビキニ環礁で行なう実験と同じことである。
彼らは原爆水爆の実験をして原子力の実在と用途をためしてみるのであるが、わたしたちは、人生という実験場で、「精神」というものを材料として実験し、そこから「罪」の観念(罪悪意識)を引き出してみたらどんな結果が生ずるかを実験してみたのであり、また実験しつつあるのである。
その点ではわたしたちは宗教家であるというよりも科学者である。やがて全人類は想念・感情の力が原子力よりもなお偉大なる力であり、人間の幸不幸はそれによって左右されることをことごとく知る時が来ることを信じて疑わないのである。
本書はある意味においては人類への無罪宣言である。この宣言を素直に受けて信ずるものは、今まで自己を縛っていたあらゆる不幸から解放されるはずである。
人間の解放には外からの物質的解放と、内からの霊的解放とがあるが、本書は、罪の本来無を説き、その実証を示すことによって後者の役割を果さんとするものである。幸いに、本書によって読者諸賢が自己解放を遂げられ、以前に優(ま)した幸福な生涯を送ることをえられれば喜びこれに過ぐるものはない。
昭和三十七年九月二十日
著 者 し る す
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