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Web誌友会 板/2

2046「靖国見真会」参加者:2013/06/17(月) 15:44:41 ID:0PL7dBUs

「復興G」様へ

》私の出発点は実相地であり、靖国様の出発点(原点)は現象地なのであります。

立ち位置の違いを明らかにしていただき、感謝申し上げます。

しかし、その違いは違いとして、私が危惧するのは、次の一点であります。

》私の出発点は実相地であり

という人が、往々にして、「八ヶ岳教団」の現実に、頬被りしてしまうことであります。

現に、私どもが「八ヶ岳教団」の実態について何かを言うと、「現象なし、実相を直視していればいい」という答えが返ってきます。

「現象なし」という教えが、現実を見ないでいいということに悪用されてはいないか、それを恐れるのです。

「現象なし」でやり過ごしているうちに、谷口雅春先生の『聖典』は絶版になり、新しい「経本」の読誦は強要され、「ご神像」は踏みにじられ、本部会館は破壊されてしまいます。

「復興G」様も、かかる「八ヶ岳教団」の実態には心を痛めていられると伺っていますが、ただ心を痛めるだけでいいのですか?

「実相地」に立つということは、心を痛めるというだけでいいということなのでしょうか?

心痛む「現象」について、何も働きかけないでいいということなのでしょうか?

「実相地」に立つということと、「八ヶ岳教団」の実態に対してどうするのか、ということとはどういう関係になるのでしょうか?

そこが今一つ判然としません。

「実相地」に立つということは、「八ヶ岳教団」のこの実態の中で、どう生きることなのか、それを具体的にご教示願えれば幸いに存じます。


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