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Web誌友会 板/2
1690
:
志恩
:2013/06/08(土) 06:51:08 ID:.QY5jUA6
復興G様が2、26事件についてお話して下さるとおっしゃってましたので、
私も、予習のつもりで、いくつも資料を読んでいました。
その中で、興味を持ちましたうちの1つは、
「ねずさんのひとりごと」に書かれてございました「ニ、ニ六事件」です。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
二・二六事件の背景については、
松本清張 著「 昭和史発掘(8)」よりの紹介で、次の如く載っていました。
〜事件の真相〜
《昨今、過去の歴史について、いろいろ脚色がなされ、なにやら二・二六事件の若手青年将校たちは右翼であったかの如くに言われている節があります。
しかし、当時若手に流行していた考え方は、ご皇室尊崇ではなく、マルクス・レーニン主義による階級闘争主義です。
つまり、軍の内部にさえ、コミュニスト(共産主義者)的思想がまん延していた。
資本主義者が貧民を作っているのだから、貧民は決起し、資本主義者を殺してもよい。
敵対する者、自分たちと異なる階級(上とか下)の者に対してなら、なにをしても許されるというのが、共産主義です。
共産主義革命の実現のためには、対抗勢力は抹殺せよ・・・これが階級闘争主義です。》
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
〜なぜ、事件に至ったか〜
《農村の疲弊は、慢性的に続いていた農業恐慌の上に、更に昭和6年と昭和9年に大凶作があって深刻化した。
農家は蓄えの米を食い尽くし、欠食児童が増加し、娘の身売りがあいついだ。
農村出身の兵と接触する青年将校が、兵の家庭の貧窮や村の飢饉を知るに及んで軍隊の危機を感じたというのはこれまでくどいくらい書いてきた。
そして青年将校らは考えた。
結局独占資本的な財閥が私利私欲を追求するために、こうした社会的な欠陥を招いたとし、それは政党がこれらの財閥の援助をうけて庇護し、日本の国防を危うくする政策を行っているからだとの結論に達した。》
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
事件を起こした青年将校達は、陛下の大御心は、血なまぐさいクーデーターは望んでおられなかったので、
その直後、事件を起こした青年将校たちは、揃って銃殺刑に処せられたのでした。
つまり、皇軍派とは、名ばかりの その名を借りた【共産主義 革命 尊奉者】たちが、策略 煽動した首謀者だったことが、暴露されて載っているのでした。
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