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Web誌友会 板/2

3445復興G:2013/12/12(木) 11:30:53 ID:AB6RqYXc

<つづき>

   とんぼ返りの諷示

 普化(ふけ)和尚といふ支那の高徳の和尚が、大勢の弟子を集めて法話をして居ると、弟子の人々が、佛の御姿は何(ど)ういふもので御座りませうと尋ね出した。普化和尚は即座に大衆の面前で、とんぼ返りをして見せて、佛の姿は斯ういふものぢや、解つたかといふと、大衆は唖然として一言も發するものはなかつた。又、龍牙(りゅうげ)和尚といふ高僧も、是れと同じく、大衆より佛の御姿を見せて下さいと迫(せが)まれて、両膚を脱いで半身をむき出して、佛の姿は斯ういふものぢやと示したことがある。衲(わし)が此処に説く所、畢竟普化和尚のとんぼ返りぢや、龍牙和尚の両膚脱ぎぢや。何うぢや、分るかナ。

   拈華微笑の徹底

 昔、釋尊が霊鷲山(りゃうじゅせん)で説法をせられた時に、八萬四千の聴衆が詰めかけて居る。如何なる有り難い御説法があるかと固唾を呑んで耳を傾けて居ると、釈尊は傍(かたはら)に咲いて居る金波羅華を採つて、一拈りされた。是れで大法は説き終られたので、八萬四千の聴衆は唯唖然として居る。

 此の時、神通第一と呼ばれたる摩訶迦葉が、唯独り豁然と徹底して破顔微笑したといふのぢやから、ニッコと笑つた。これを見て取られた釋尊は、我れに正法眼藏涅槃妙心、實相無相の法門あり、摩訶迦葉に附嘱すといはれて、吉祥草座を下られた。

 之は禅家の拈華微笑といふ有名な話ぢやが、此の消息が分るかナ。此の消息が呑み込めねば錬膽の眞髄に徹底することは出來ないぞ。有限の言葉や文字でいくら説いても、深遠微妙な錬膽の眞髄を説き盡すことは出來ぬから、言葉や文字の奥に徹底する破顔微笑の用意がなくてはならぬ。若い男と女の恋仲でも、目と目との間に無限の深い消息が通じ合ふぢやないか。口先で語合うただけの恋仲には限りがあるが、同と目の物語は甚深微妙、其の味ひは限りがない。須らく言葉や文字に超脱する覚悟を以て衲(わし)の話を讀んで貰ひたい。

   叩門の瓦、指月の指

 「門を叩くの瓦子、月を指すの指」といふ言葉がある。夜更けて人の家を訪ふ。門前に行つて押しても突いても戸は開かぬ。握り拳で叩いた位でも寝込んで仕舞うて居るから中々目を醒して開けて呉れぬ。とうとう瓦を取つてドンドンと叩いて見たら、直ぐに起きて門を開けて呉れた。門を開けて中に入れば、最う瓦には用事はない。それを何時までも持つて居るには及ばぬから、疾くに棄てて仕舞ふが宜い。是れが門を叩くの瓦子といふのぢや。

 また、アア彼方(あちら)に好い月が出ましたといふと、何(ど)れ、何処へというて探す。アレ彼方にというただけでは埒があかぬ。そこで、ソレ其方へと指で指して教ゆれば、直ぐにあれ綺麗だと分る。既に月の有処が分つて見れば、もう指には用事はない。サッサと指を取つて仕舞ふといふのが指月の指ぢや。

 そこで此の書物は恰度門を叩くの瓦子、指月の指ぢや。錬膽の眞髄が分ったら、最う此の書物には用事はないぞ。

   鶏唱ふ家林の曉

 『五更(ごこう)鶏(とり)唱ふ家林(かりん)の曉』で、五更の夜半でも、鶏が歌うた以上は最(も)う朝ぢゃ。暗い、寂しいと悔むに及ばぬ。最う昼の内ぢや。錬膽の眞髄に徹底するは容易ぢやないが、併し、膽力とはハテさういふものかといふ呑込み出来れば、最う家林の曉ぢや、何もいふことはない。

    〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 さて、復興Gの感想ですが、禅の神髄、「悟り」 は以上の日置黙仙師の緒言にあるように、不立文字、以心伝心と言われます。曳馬野さんが読めとおっしゃる 『心経抄』 にしても、やはり 「門を叩くの瓦子、指月の指、家林の曉」 であろうと思います。現象の言葉で、「これが悟りじゃ」 「これでなければならぬ」 と決めつけたら、もうそれは悟りでもなんでもない、執着にすぎないのではないかと私は思っています。

 いかがでしょうか。


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