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Web誌友会 板/2

2488復興G:2013/07/29(月) 15:33:27 ID:AB6RqYXc

 皆さま、ありがとうございます。

 私の家の仏壇はやや大きめで、最上段のまん中に阿弥陀如来、左側(向かって右側)に観世音菩薩、右側(向かって左側)に勢至菩薩の像が安置されています。

 阿弥陀如来は無量光佛、無量寿佛、尽十方無碍光如来などとも言われる、宇宙に遍満する無限の光なる如来、佛。観世音菩薩はその 「慈悲」 を現す化身であり、勢至菩薩は 「智慧」 を現す化身である。この三つの像は阿弥陀三尊と称され、本来一体のものであります。

 そうして少し下の向かって右側に当家先祖代々の位牌、左側に妻の実家の先祖代々の位牌を祀っています。

 私は毎朝この仏壇の前に坐り、阿弥陀三尊像を仰ぎ見ます。そして、ご先祖様がこの如来三尊そのものと一体でいらっしゃると観じます。そうして

 << ご先祖様は、すべてを与えきってあの世へ行かれた。ご先祖様は愛にまします。神にまします。佛にまします。

 ご先祖様のいのちは神様のいのち(神様と言っても仏様と言っても同じであるという思いで、そう念じます)。
 ご先祖様の心は神様の心。
 ご先祖様の体は神のみからだ。

 そのご先祖様からいのちをいただいて、私は生かされています。
 私のいのちはご先祖様のいのち。
 私の心はご先祖様の心。
 私の体はご先祖様のからだなのでした。

 「私」というものは無かったんです。空っぽだったんです。

 その本来の空っぽに還ったとき、私は自由自在。
 私の中にすべてがあり、すべての中に私があり、
 私は全てなのでした!
 私は光なのでした!
 愛なのでした!
 無限の智慧なのでした!
 神なのでした!
 無量寿如来なのでした!

 ありがとうございます。ありがとうございます。>>

 と心に唱えて、神想観・聖経読誦をします。

 そのとき、招神歌の

 「生きとし生けるものを生かし給える御祖神
 元津霊(もとつみたま)ゆ幸(さきは)え給え」

 の元津霊はわが内にあり、それを「全てのものに幸え給え」という意味になります。

 「わが生くるはわが力ならず……」

 というのは、

 「すべてのものが生きていらっしゃるのは自分の力で生きていらっしゃるのではない。神様の権能(ちから)で生かされていらっしゃるのである」

 ということであると念じます。

 「もはや我れ生くるにあらず……」 というのは、

 生きとし生けるすべてのものは、自分の力で生きているのではなく神がそこに生きていらっしゃるのである。

 ありがとうございます。ありがとうございます。>>

 と念ずることになります。


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