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Web誌友会 板/2
999
:
「訊け」管理人
:2013/05/06(月) 06:12:59 ID:???
>>復興Gさま
>>誌友会参加の皆様
おお、早速誌友会が開始されておりますね。しかも『到彼岸の神示』よりのご謹写文まで掲載されておりまして、ビックリ致しました。と云うことで以下で、感想などを少々披露させて頂きます。よろしくお願い致します。
・・・・さて、復興Gさまご謹写の「無相円相一切相の神示」ですが、いろいろの論点があり興味深いものです。「天地一切との和解」という切り口からも語れますし、「自壊作用」という面からも語れます。ですがここでは、敢えて以下一点に関してのみ感想を、述べてみたいと思います。いや、以下の箇所こそが私が生長の家の教えに触れて「『スゴイ』と思った」という、そんな箇所のひとつなのです。それは、
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>>964
<神示講義・自覚の巻『到彼岸の神示』より 謹写つづき>
この神示に明示されておりますように、生長の家に入教されて病気が治るのは、必ずしも患者自身が悟りを本当にひらいて自由自在の心境に達して治るのではなく、「神が病気を治して見せ」られるのであります。
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の箇所です。ここは実に、他に類書を求めることの出来ない概念だと思っております。同時に、私のような「いい加減な人間」でも救われることが分ります。私のような者はこの箇所ですが、読めば歓喜する箇所であると思っております。
・・・さて、雅春先生は(『生命の實相』20巻で)「心が変らなくても、救ってくださる神が欲しい」という趣旨の、慟哭にも似た感情を述べておられます。「心を支配すれば、人生が変わる。」そして、「その理屈は分る」と述べられて後、それでも「心という暴れ馬を乗りこなせない」との心情を吐露されておられました。いやこれ、大半の者が悩むテーマなのではないでしょうか。
そして「ホレ、心を乗りこなしてみよ。そしたら救ってやるよ」なんて〝無理難題〟を吹っかける者を、果たして「神と称してよいのか」とも思えます。特に私のようないい加減な人間は・・・・(笑)。
・・・・ところで投稿文ですが、長文化を回避します。「聖典板」に該当する文を掲載致します。掲載するのは「榎本惠吾」先生の御文章です。この御文章を読みますとしみじみと、「實相の完全円満さ」ですが、ありがたく感じられて参ります。
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○榎本惠吾御文章
その1
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/2252
その2
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/2253
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「生長の家に入教されて病気が治るのは、必ずしも患者自身が悟りを本当にひらいて自由自在の心境に達して治るのではなく、『神が病気を治して見せ』られるのであります。」(
>>964
『到彼岸の神示』より) ―― この〝事実〟の有難さをしみじみと感じえた、今回のご謹写・投稿の御文章でございました。ありがとうございました。
拜
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