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Web誌友会 板/2

1781志恩:2013/06/09(日) 15:42:43 ID:.QY5jUA6
私は、何も“和解”があり得ないと言っているのではありません。

「生長の家は谷口雅春先生の教えである」

これに帰りさえすればいいのです。

しかし、谷口雅宣総裁がそれを容認しない以上、自分の教えが生長の家の教えであると考えている以上、“和解”の道は閉ざされていると申し上げるほかはない、ということです。


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「生長の家は谷口雅春先生の教えである」 (6110)
日時:2013年01月31日 (木) 11時30分
名前:全く同感


「靖国見真会」参加者 様は

訊けさんのお言葉
>>①和解とは「相手がどんな状態にあるか」が、最重要という意味でしょうか?

  ②さらには、和解とは、相手が和解する状態になくば「しなくとも構わない」という意味でしょうか?

①については、そのとおりです。「相手がどんな状態にあるか」が、最重要です。
②これは、雅春先生の教えの、悪用です。
実相と現象を混同されてます。

中国と北朝鮮とも和解すべし、というのは、相手の実相を拝んだ場合の教えです。
しかし、、現象界に生きている以上、相手の行為を見て、この人の現象(発言、行為)とは、和解してはならないというのが、
雅春先生の教えです。

なんでもかんでも、相手に妥協することと、和解することとは、正反対のことです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
“和解”があり得ないと言っているのではありません。

「雅宣さんが、谷口雅春先生の教えに帰られれば、いいだけです」


雅春先生が創始された「もともとの生長の家は、谷口雅春先生の教えである」のですから。

にもかかわらず、重要な数々の、雅春先生の書物を読めなくするなんて言語道断です。

その他、いちいち,書ききれませんが,,

その現実を直視すると、現在の現象的な彼とは、和解はできません。


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