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4604a hope:2014/11/15(土) 08:55:38 ID:cEpBaIdo

生命の實相 第14巻 p148 8行目〜

円満な神の姿を小児の心にえがかせよ。完全な仏の姿を小児の心にえがかせよ。

いかなる場合にも、自己が全能なる神または仏の愛の手にいだかれていてなんの危険もないものだ、という自信を子供の時代から人間に植えつけよ。

幼児からのこの自信は将来のその人の運命を決するものだ。


子供の教育に当たっては人前だからといって自分の子供を遜(へりくだ)って、「この子はとてもイタズラ好きで駄目なんです」とか「この子はずいぶん馬鹿でして」などというな。

かくのごとき謙遜は子供の想像力を自分の想像力を自分の欠点の方へ働かしめ、子供の自信力をめちゃめちゃにして子供の生長に邪魔を置くことになるのである。

自身を常に「駄目だ駄目だ」といわれているときは、その言葉の力でその子供の周囲や表情には、一種のダメな無力な沈衰(ちんすい)した感じがつきまとい、彼の将来の運命を真に駄目にしてしまうのである。


諸君よ、何も神がつくったところの人間を指して、それがたとい自分自身だからとて、自身の肉身の子だからとて、駄目だとか、馬鹿だとか、かりそめにも悪くいわねばならない理由はないではないか。

それは創造主(つくりぬし)への冒涜である。それはわれわれをつくって生命を与え給える「ある者」をけがすものだ。

けがすだけではない。自分自身の運命を、自分自身の子の運命を、知らず知らずのうちにダメにしつつあるものだ。


子供をして彼自身を「神の子なり」と信じせしめよ。

神父(ちち)はその子をその全能な力にて常に完全に導き給い、無限生長に導き給い、どんな不遇の場合にも必ず守りていたまうことを信ぜしめよ。

どんな場合にも失望しない心、取り越し苦労しない心、摂理に信じまかせ切って、晏如(あんじょ)たるを得る心、倒れても倒れてもまた起き上がることのできる心、これらは幼児の心にきざまれた完全円満なる神を父とする想像から力強く生まれ出て来るものなのだ。


神仏を礼拝する習慣、これがここにも幼児から人間の生長に必要なものであることがわかってくるであろう。


子供に彼を保護する神を想像させよ。しかし神を恐れさすな。神を父と思わせよ。愛深き全能の力をもて守りたまう神を想像させよ。


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