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Web誌友会 板/2

1083復興G:2013/05/08(水) 23:25:41 ID:AB6RqYXc

<昭和15年4月9日 名古屋公会堂に於ける谷口雅春先生ご講演 つづき 2>

 教化団体との相違

 だから生長の家は宗教団体の中へ入らない、宗教ではないのだ、一定の教義を持たず、儀礼を行わ

ず、本尊がない、そうしてみんなの心を教化し修養せしむるのが生長の家だから教化団体である、斯

う云う風に申上げたのでありますが、稲田宗務課長は秋田子爵に向って「いや谷口先生は一定の終始

一貫した教を説いておられる」斯う云う風に言われたそうであります。文部省の係の人は『生命の實

相』を、大分確かりと読んでおられるらしいのであります。『生命の實相』を読んでみると、色々の

教祖の教を引用してあるけれども、併し乍ら終始一貫したところの教義を説いているのであって、人

を信仰的に引摺って行く力が強い。その人を信仰的に引摺って行く力は教化団体とか修養団体とか云

うような力の弱いものではない。今迄修養団体などと云うと、どうもバラバラのものであって、表面

親孝行せよ、兄弟仲好くせよ、仕事を勉強をせよ位の事を説くのであって、それが信念的信仰的に肚に

入らないで所謂る修養の程度に止まっていて、生長の家みたいに信念で引摺って行く力がなかった。

だからあの種のものは教化団体だけれども、生長の家は信念に迄人を強く引摺って行く。文章の力に

よって人の信念を強く一つに信仰的に人心を集中する力があるから宗教的運動とみとめる、そう云う

訳で兎も角、この教化団体としての届は東京府の方へ返しておくから、やがて四月一日になったなら

ば宗教団体法が実施されるから、それに間に合うように宗教団体としての届をするようにと云うよう

な話であったのであります。


 ナイナイづくしの生長の家

 こちらは教化団体だと主張するのですけれども、信念を喚起する力が強いから宗教と認めると言わ

れては仕方がないものですから、今迄教化団体として出しておりましたところの、その届を東京府庁

から返していただきまして、それを書直すことにしたのでありますが、それに就いては、文部省の係の

人に色々照会いたしまして、届けるところの書き方をずっと教えていただきまして、そうしてそれに

適(はま)るように書くことになったのであります。ところが教義、儀礼及び行事、奉斎主神又は安置仏本尊

――と云う項目へ書き入れなければならぬことになりましたけれども、やはり生長の家は万教を説い

て、一宗一派に偏らないのが事実でありますから、生長の家の教義と云って特に摘記することは出来

ない、キリストは斯う言った、釈迦は斯う言った、何々教祖は斯う言った……それらを比較宗教学的

に説くので、生長の家独特と云う教義はありはしない、と云うわけで「教義、無し」と書いたのであ

ります。それから儀礼と云っても葬式もしないし、行事もない。こんなに演説は致しますが、演説は

行事かも知れませぬが、演説することが宗教の行事だと言ったら、政治の演説も、学校の講義も宗教

になってしまいまして、学校の先生は宗教の教師になって了うと云うことになるのであります。修養

団などには、生長の家には無い厳めしい祝詞があり、儀式なども行いますし、体操のような身禊のよ

うな行事もある。ところが生長の家にはそんな行事も儀礼もないと云うので、儀式及び行事の項も

「無し」と書いたのであります。それから奉斎神又は安置仏と云うところも、実際ないのであるから

「無し」と書いたのです。ところがその届書を文部省の係の人に持って行って「これで宜しいか」と

言って相談すると「どうも『無し』じゃ困る」と言われたそうであります。

<つづく>


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