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Web誌友会 板/2
1224
:
復興G
:2013/05/19(日) 10:13:24 ID:AB6RqYXc
<つづき>
私はS君の話に共感、感銘を受け、
「こういう話を後世に、子孫にちゃんと伝えるのが吾々の役目ではないか。原稿があったらコピーさせてほしい」
と頼んで、コピーをもらってきました。それをキーボードで打ち込んだのが上記です。
大和魂(やまとだましい)、日本のこころとは、本来、前記のような大和(だいわ)の心である。一旦緩急あれば(国家非常の時が来れば)特攻隊精神となることもあるかも知れないけれども、本来そんな自爆精神が大和魂ではない。
明治天皇の御製に
あさみどり すみわたりたる 大空の
広きをおのが 心ともがな
(「あさみどり澄みわたりたる」は、清浄、正直の心を表し、大空の広さは度量の大きさ、睦び和む精神に当たる)
さしのぼる 朝日の如く さわやかに
もたまほしきは 心なりけり
(赤々と一直線に昇ってくる朝日のように、さわやかな心を常に持ちたいものである)
と歌われた大御心にこそ、大和魂はいかんなく現れているような気がします。
『光明道中記』(新選谷口雅春法話集5)の、「一月二十二日〜一月三十一日」のところに、生長の家出現の使命・日本の使命について、端的に書かれたすばらしいご文章がありますので、謹写掲示させていただきます。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
(谷口雅春先生著『光明道中記』より)
一月二十二日 九族生天踊躍(しょうてんゆやく)の日
吾らは初めから如来であり、成仏している。(『生命の實相』第一巻)
金の純分のみが金となるのであって瓦を磨いて金とするのではない。凡夫が仏になるのではなく、凡夫が消えて仏があらわれるのである。凡夫のはからいが「雑行雑修」と言って真宗で排斥せられるのも、凡夫が如来になるのではない証拠である。仏と仏とに伝えてよこしまなることなきが禅であると道元は『正法眼蔵』で喝破している。たとい吾等が汚れたように見えようとも、人間は本来汚れているものではあり得ないのである。
発止として自覚の灼熱状態に於て打たれるとき、人間はその仏なる実相を露呈する。
そのままが仏であり、打っても打たなくとも仏であるが、打てばそれがあらわれる。
打つのに色々な打ち方がある。
昔は「お前は悪い奴じゃ。もっと修行せよ」と言って打った。
生長の家は「お前は善い本性を無尽蔵に有っている。励めば励むほど、出せば出すほど力が出る」と言って打つ。どちらが効果があるかは既に実証済である。
<つづく>
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