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Web誌友会 板/2
4470
:
a hope
:2014/10/11(土) 00:27:54 ID:cEpBaIdo
(
>>4469
つづき)
その後、志恩さまのご指導で、それが戦後の占領軍政策の言論統制への対象となってやむなく聖典から削除された御文章なのだとわかりました。
ですがその後何年かたって、言論の自由が認められた後も、雅春先生はその時削除された「愛国心や天皇に関する御文章」を聖典に戻されませんでした。
いったいそれは何故なのでしょうか?
その内容を拝読するとわたしはすべてが「真理である」と感じましたが、
同時に「時代の流れともに表現を変えていかなければ相手に通じなくなった『対機説法』だったんだな」とも思いました。
仏心さま、わたしはこの現象界で相手にコトバのよって「真理」を伝える方法は、『対機説法』(方便)以外ないと思うのです。
ですから仏心さまの最初のご質問、
<<ここに書かれていることは『真理』なのでしょうか、
はたまた「対機説法」であり一つの切り口なのでしょうか?>>
の関しては、どちらも「YES」が答えになります。
そして最後のご質問、
<<時代とともに『日本民族の使命』も変わるのでしょうか。>>
これに関しては「変わらない」と漠然と感じていますが、わたしは、まだ、その理由を説明できるまでに真理の理解が進んでいません。
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