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Web誌友会 板/2

5567a hope:2015/06/28(日) 00:58:25 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第19巻 p170 後から5行目〜

宗教というものは大きくなればなるほど、だんだん穢(きたな)くなりやすいものである。

わたしが皇道大本の土を踏んだ時には、大本教には献金取り扱い所というものはなかったが、そのころになっていつの間にか、「献金取り扱い所」と書いた大看板が門前に吊り下げられた。

わたしはそんなものを吊り下げておいたならば、いかにも献金せよと参拝者の心に強いることになり、献金しなければきまりが悪くなって、心ならずも献金する人がでて来、集まってくる金が浄財のみとはならないから、そういう看板を出すことには神業に不純なものを交えることになって、かえって神業を妨礙(ぼうがい)することになると主張したが、老年の幹部たちはわたしの説を採用しなかった。


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