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Web誌友会 板/2
5632
:
a hope
:2015/07/29(水) 09:55:16 ID:cEpBaIdo
「生命の實相」 第20巻 p132〜
九
万事は好都合にいったが、家族の健康だけは移転以来、かえって悪くなった。
恵美子が麻疹をする、麻疹が内攻して肺炎になったと宣告される、わたしの健康も悪くなって死ぬような予感がする、折ふし、保険会社勧誘員が来たので保険に加入しようと思うと、審査医が来て診察して見た結果不健康だからだめだと言う。
妻も瀕死の大腸カタルを患う。
どうしてこんな不健康が続くのか自分でも判断がつかなかった。
わたしは毎日、わたしの家庭に不幸や病気が絶えない理由について思索を続けていた。
三界は唯心の所現である。
そのことまではわかっていたから、家族たちの病気が心のあらわれであるということは明かであった。
しかし心をいかにすれば自由になしうるかがまだわからなかったのである。
心配すればその心配が形にあらわれて病気になる、それは解る。
しかし、家族が病気になっているのを心配しないでいることはむずかしいのである。
腹を立てればその乱れたる精神波動が形の世界にあらわれて自分の身体(からだ)が虚弱となり、家族に病気が起こる、それは解る。
しかし、会社などにつとめて、上役から無理な命令を圧倒的に受けたとき、それに対して憤りの念を起こさないことはむずかしいのである。
心が一切現象の源であると知るとき、その心が思うように支配されたならばなんでもないが、その心が思うように支配されない時には、心そのものがかえって恐怖の原因となるのである。
悪を思うまいと思えば思うほどかえって悪を思い、心配すまいと思えば思うほど心配し、怒るまいと思えば思うほど腹立たしくなってくる心はこれはいかにしたらよいであろうか。
心が悍馬(かんば)よりも扱いにくいものであるならば、その心の扱い方によって人が幸福にも不幸にもなるものとするならば、悍馬を乗りこなすのはよほどの名人でなければならないから、人生を幸福に無病に乗りこなす人も、また数少ないと言わなければならないのである。
わたしはそのころはまだ心の悍馬を乗りこなす名人ではなかった。
子供が重病だといって会社へ電話がかかると顔色が真っ青になって、会社を早引きしての帰るさ、電車の中でブルブルと戦(ふる)えている方の人であった。
心と仏と衆生とこの三つが無差別(むしゃべつ)であって、一心転じて仏ともなり衆生ともなり極楽ともなり地獄ともなるならば、結局仏とは常住のものでなくて一つの捉えどころのない現象だと言わなければならないのである。
常住のものではない捉えどころのないところの、仏かと捉えてみれば鬼になったり地獄であったりするような心が神であるならば、わたしたちは何に頼っていいのかがわからないのであった。
ホルムズの説くように、神は当体は無相であって、われわれの念に従って仏とも現われ、鬼とも現われ、応現自在のもので、本来常住の相(すがた)がなんにもないならばこれもまた頼りにならないものではないだろうか。
わたしは思索を重ね、静思を重ねたけれども安住の境地には達しなかった。
(つづく)
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