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Web誌友会 板/2

5893a hope:2015/10/08(木) 14:55:35 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第21巻 p174 7行目〜

「執愛」でも愛には違いはないのですけれど、それは捉われている愛でありますから、それでは、あらゆる時にすべての人を生かす力は出て来ないのであります。

自由自在にあらゆる物を千変万化しながら、その実相を生かす。

これが法愛であり、神の愛であります。

施しをするのでも執着の施しと法施とがある。

執着の施しは誰々には何々をやりたいが、誰々には何々をやりたくないというような、人に物を凝り固まった偏寄った愛であります。

人に物に偏寄らないで一様に実相を生かすのが法施であります。

先刻、「道の道たるは道に非ず」ということを申しましたが、ここでは「愛の愛たるは愛に非ず」ということも言えるのであります。

ただ子供がかわいいからいたわるというのは盲目的な親の愛で、かえって愛するがゆえに愛するわが子を害している場合も多々あるのであります。

なせ愛するがゆえにかえって愛する者を害するなどということになるかといえばその愛が執愛であるからで、愛とはやたらにいたわりかわいがるということだという一本のレールの上に乗ってしまっているからで、その一本道のほか融通がきかない、そのためにせっかく愛しながらかえって愛する者を生かすことができないということになるのであって、それは法愛ではない。

法愛というのは無軌道電車みたいなもので、レールははずれても決してひっくり返らないで平気で走って行けるような自由自在な愛になって、はじめて相手を生かすこともできるようになるのであります。


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