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Web誌友会 板/2
2786
:
復興G
:2013/09/17(火) 16:42:28 ID:AB6RqYXc
>>2785
のつづきです。
谷口雅春先生も、こうしてある意味でたいへんお悩みになったと考えられます。先生は
≪私の實相は 「神性」 であり、萬徳圓満具足してゐる 「佛」 であるが、現象の私はなほ悩むのである。みづから憐むことによつて多くの人達の悩みを知る。≫
と書かれているわけです。
そうして――
≪一切衆生 悉有佛性 の眞理は、一切の男女を平等に 「佛」 として礼拝し、「佛」 として自由に幸幅を創造し享受することが出來る時代が來たのである。私の娘も、「佛」 のひとりとして、男性に劣らず初婚ならずとも幸福を創造し、享受する自由を得ることになつたのだ。併し、娘は尚、自分は再婚だから、二度目の結婚はどうせ、好い相手を選ぶ資格はないと信じてゐる……
「汝の運命は、汝の信ずる通りのところのものである」
この生長の家の教は眞實である。「私はどうせ好きな相手を選ぶ資格はない」 と云ふ娘の信念は、自分で自分の運命に堰をすることになつてゐる事を観た。
世間の多くの女性たちが、みづから最も良き相手を選ぶ資格がないと、自分で自分を限定して如何に不幸の運命に自分を幽閉してしまつたことが多いことであらう。
私は、私の娘の運命をきりひらくことは、ただ自分の娘の運命だけの問題ではないと思つた。私の娘と同じやうな境涯の幾十萬人の婦人の運命をひらいて見せるために神が私に斯のやうな課題を與へた。
「人間は再婚でも何でも、みづからを不幸にわざと押し込め鎖ざさない限りは、無限に新たなる幸福が待ちかねてゐるものである」 と云ふ眞理を實際に實現して見せることによつて、幾十萬人の再婚の婦人の運命を救ふことになつてゐるのである。
それは初婚の良人と生きて別れた女性だけの問題ではないのである。應召した良人に死別した女性の再婚の問題の解決は、今後の日本の女性にとつては由々しき問題を提供してゐるのである。
みづから好んで、一人の良人を守り通す健氣(けなげ)な婦人のことは別として、傅統に縛ばられ、習俗に阻まれて再婚する決心もつかず、再婚するにしても、「どうせ私は再婚だから幸幅な結婚は出來ない」 と自分の運命を迷信で縛つてゐる女性のために、再婚は決して神の掟に反(そむ)くものでないこと、
過去はないこと、人間は常に 「今」 新生するものであること、そして人間はいつでも永遠の処女であり、永遠の神性であるから、どんな時にも、最大の幸福生活を希望する自由と権利とを神から與へられてゐるものであること――
此の眞理を、ただ説くだけではなく、生活に實践しなければならない。それは私の娘の運命を救ふと同時にそれを模範として、幾十萬の若き日本の未亡人を救ふ事になるのであり、それこそが神が私に解決すべく課したる処の課題であると。
私はその時、一人の青年の姿を私の娘の良人として思ひ浮べた。そしてそれは成就した。彼の名は荒地清超と云ひ……≫
(谷口雅春先生著 『善と福との実現』 より)
――ということになるわけですが、その間、次のようなご指導があります。これは、たいへん素晴らしい貴重なご指導だと思います。
<つづく>
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