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Web誌友会 板/2

2232復興G:2013/07/11(木) 16:08:22 ID:AB6RqYXc

 あと、テキストp.173からの 「罪を他に帰するは自分を木偶人形にすること」 というところの前後も、私たちが生長の家の生き方をする上で、とても大切な指針のお言葉であると感じさせて頂きました。それを謹写させていただきます。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 人間の実相(ほんとのすがた)は神の子であって、本来無形のものである。無形であるから、何物にも縛られない自由自在なものである、金剛不壊(こんごうふえ)の霊的実在であるということを自覚しないからであります。このいかにしても害しようのない、金剛不壊の自分自身でありながら、その「本当の実相」というものを悟らず、他(ひと)とか物とか事件とかが自分を害したと思う、害したと思うと腹が立つ、腹が立つとそこによくない精神波動を起こす、類は類を招(よ)び、自分のよくない精神波動は、宇宙に漂っているよくない精神波動を招び寄せて、ついにその精神波動が形に化して病気を具体的に起こすことになるのであります。

     罪を他に帰するは自分を木偶(でく)人形にすること

 この「生長の家」の生活を始めない以前のわたし、つまり金剛不壊の自分の「生命」の実相を自覚しない以前のわたしは、絶えずこの悪い精神波動を起こしていましたので、不断に身体も悪く、心も不快だったのであります。

 今から考えてみますと、今でもまだ本当に善くなってはいませんが、わたしほど悪い人間は少なかったかもしれないのです。ちょっと胃腸が悪いと、「お昼にあんなおかずを食べさせたからだ」といって小言をいう。「おかずが半煮えであったから、そのために野菜の繊維素が不消化だったのだ」などという。つまり、人間というものを宇宙の主宰者である神の子であるとは考えずに、一片の野菜の繊維よりも弱いものだと考えていましたので戦々兢々(せんせんきょうきょう)として、自分に対して与えられるものに警戒していなければならなかったのであります。

 そんな弱い信念しかもっていないのでありますから「心」の顕現(あらわれ)である身体(からだ)が善くなるはずがないのであります、インキ壺をひっくり返してでも、これは自分が不注意であったのだ、自分が自己の円満完全な本性の自覚が足りなかったためにこんな失錯をしたのだとは考えずに、「お前がこんな所ヘインキ壺を置いておくものだからインキがひっくりかえったのだ」などという。あるいは「お前が呼んでも返事をしないものだから、手をあげる拍子に袖がひっかかって机からインキ壺が落ちたのだ」などという。終いにはこれは自分が悪いのではない、親がわたしの性格をこういうふうに生んだのだなどとまで思ったりする、始末にいけないわたしだったのです。

 何事が起こっても悪いことはみんな他(ひと)のせいにし、みな他(ひと)に責任を負わしてしまって、自分だけは責任のがれをしようと思う。

 こんな卑怯な虫のよい心は、ちょっと考えると、悪いところを他(ひと)にばかりなすり付けて自分は善い所ばかり独占するのだから、大変得になる心の持ち方であるかのように思われますけれども、けっしてそうではない。
<つづく>


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