したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

Web誌友会 板/2

2528a hope:2013/08/05(月) 09:57:05 ID:edEDolt2
>>2527に関連して、復興Gさまのご投稿も再掲載させていただきます。

2307 :復興G:2013/07/13(土) 21:31:32 ID:AB6RqYXc
>>2304のつづきです。

同様のことが、 『生命の實相』 第38巻 「七月一日」・「七月二日」 のところに、次のように書かれています。
>>2185に書いていたことですが)

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

     七月一日

 深海の中に棲む魚は盲(めしい)である。暗(やみ)のみを心に思い浮かべているからである。光を見る心になったときわれわれに眼ができ、美しい世界がわれわれの周囲に展開したのである。

 思想することは自由である、幸福になるように、あるいは不幸になるように。けれどもそれは各人の選択である。

 ただひと筋に光明思想に随(つ)いて来るものは幸いである。

 すべてのものがわが内にある。本当にある。本当にある。ただそれだけを知ればよいのである。ただそれだけを直視(じきし)すればよいのである。

 思想として、宗教として、哲学として、生長の家はすべてのすべてである。このほかにもっと何かよいものがあるかと思ってさ迷い出るものは、エデンの楽園にいてエデンの楽園をさ迷い出ずるものである。

 いろいろと変わった思想のものを読んで、思想を混乱させればさせるだけ、自分の運命が混乱してくる。

 罰を当てるのではないが、いちどお蔭を戴いてから去ったものの運命がそれほど花々しくないのは、その人自身の思想が混乱しているからである。

 元の思想に還ればまた幸福がその人のために蘇(よみがえ)ってくるのだが、いったん光明思想を去った者が元の思想に還ることは負けたような気がして正直に懺悔の心を表白することができない。そこでその人はいつまでもグズついて不幸の中に身をまかせているのである。

 真理の前に脆(ひざまず)くことは、不幸の中に身をまかせていることよりもいっそう勇敢なことであることを知らねばならない。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板