したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

Web誌友会 板/2

1747a hope:2013/06/09(日) 11:27:07 ID:edEDolt2
復興Gさまのご講話の最後に、特攻隊勇士の遺書 が紹介されています。

<<お父さんお母さん
この世に生まれて死を厭うことは、今昔ともに変わりありません。故に万人が長寿を願った昔話が今も残っています……けれども若干二十五歳で戦死しても決して驚いてはなりません。悲しんではなりません。
たとえ私が敵艦とともに砕けなくとも、私の運命はその時に止まっているのです。父上にはそのことが十分解っていただけるとは思うのですが、お母さん!やさしいお母さんでした。ある時は私の寝顔に、夜具をかけて下さいました。久喜(本人の名であろう)は、あれほど可愛がられ、何の報いもせずに散るのが、母上にすまないと思います。
然し私の胸の奥底には、大きな願いがあるのです。それは大義に生きることです。お母さん、決して悲しんで下さるな……その悲しみに打ち耐えて、強く生きる一億の母がいることを思い起こしてください。(下略)

     ○

 遺書の残っていない他の特攻隊の勇士の感想もこれに似たものが多いであろう。天佑なき戦争でかかる純真可憐な青年を殺して、申しわけがたつであろうか。戦時中に生きた私たちは、深く深く責任を感じて、天佑なき戦争は、将来絶対にしないことを誓わねばならぬ。その反面に、戦う時は必ず天佑のあるようにこの国政を運用すべきである。>>



いったい「大義に生きる」とは、どういう意味でしょうか?
この生長の家の争いには、天佑があるのでしょうか?



「生長の家」総裁、谷口雅宣先生 および、原宿本部関係者のみなさま


>>1658の御文章

<<英霊は死なぬ、生きている
あの事件で刑死した諸君は、最早成仏したであろうか。いや私は成仏していないと思う。
尊皇愛国を口にする者は、馬鹿者扱いされ、或いは不逞の徒扱いされるこの国で、あの諸君が成仏出来るはずがない。
過去において、国家のために命を捨てた人たちを祀る、靖国神社の祭典さえ、公式にすることも出来ぬ年月が続いているではないか。
ああ早く日本をあの諸君の安らかに眠り得る時代にしたいものである。>>


これをお読みになってどう感じられますか?

あの戦争はもしかしたら雅宣総裁のおっしゃる通り、「侵略戦争」だったのかもしれません。
でも、多くの純粋な兵士たちは、「大義に生きる」ために、すべてをすてて、勇気を振り絞って戦ったのです。

その「心」を思いやることも出来ないのは、「生長の家の総裁」のお立場としてはいかがなものでしょうか?

もうこれ以上、「生長の家」の信仰孤児を増やさないように、適切なご決断をお願いいたします。

合掌。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板