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Web誌友会 板/2

5404a hope:2015/05/14(木) 15:59:15 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第18巻 p31 後から5行目〜

谷口――(略) 先般東京の誌友で時々鼻血がでるので「ひとの道」の教祖に神宣を乞うた人がありましたが、「いろいろと物事思いつめる性分があるからそれを直せ」という神宣でありました。

この人はこの神宣をありがたがり、そのとおり実行しようと決心しましたが、それ以来鼻血が出なくなりました。

その人はまたある日膝坊主に擦り傷を受け、また一匹の蜂が舞い下がってその人の腕を刺したのであります。

でその人は試みに「ひとの道教団」に再び神宣を乞いましたら「自分ばかり偉いと思って人をいろいろ批評する性分があるから神がこれにお気づけしたのである」というお示しでありました。

その人、これは大変自分の性分に合っている御神宣を受けたと思って、「人の道教団」を崇敬してただちにその信徒になったということであります。

鼻血が出るのは、物を鼻にかけ、また高ぶり、上に血が昇り、自分考えを標準にして物事をクヨクヨ思いつめる念が具象化したのであります。

蜂に螫(さ)されるのは、自分にある人を刺す心――いろいろ人を批評し傷つける心が象徴化したのであります。

膝坊主は曲げて突き出して他と衝突摩擦して血をだしたのであります。

いろいろと人を批評し、自分の方が曲がっていてもそれを悟らず、自分を偉いように思い、他と衝突する性分がこの人にはあるゆえに、その念の象徴化としてこの人はそういう傷を受けたのであります。


病は神のお示しということも、天理教のように「理は神じゃ」という「理」――すなわち「生長の家」で言う「心の法則」を知るならば、ひとの道教祖ならずとも何人にもこういう判断は自分につくのであります。

わからない場合には神想観をして、精神を統一し、神にお願いして自分を空しゅうしておれば、心に必ず神宣が浮かんでくるのであります。

神示を受ける方法は『生命の實相』全集の観行篇(愛蔵版第四巻、携帯版・頭注版第八巻)にわたしの書いた「神示を受ける道」をご参考になさるといい。

「ひとの道教」では「念の具象化の法則」を教えないで教祖に頼って自分の心得(こころえ)違いを教えてもらう、「生長の家」では各誌友が心の法則を知るから、誌友おのおのみんな「ひとの道教祖」と同じになってしまって、自分の環境を見、自分の病気を見て、自分の心のまちがいを悟ることができる。

悟れるだけではなく直そうという誠さえあれば聖典を繰り返し読み神想観に励めば自然に直ってくるのであります。


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