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3241復興G:2013/10/23(水) 11:27:58 ID:AB6RqYXc

 谷口清超先生のご著書 『愛と祈りを実現するには』 に、次のような素晴らしいご文章があります。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

   愛は生きている (p.256〜 )

 断乎として立ち上り、良心の命ずるままに従え。神示に従え──如何に困難であろうともそれに従え。立ち上った時、かならず道は開けてくるのである。

 壁に向かって突き進む時、壁は汝のために扉を開き、その彼方に楽園があるのだ。花咲き、鳥歌い、甘露の泉がわく所がある。吾々はそれに到ることが出来る。ただ愛を実行する勇気を示すことによってのみそれが出来る。

 「宗教時報」 の何月号かに二人の闇の女(注・売春婦)が更生をちかった投書がのせてあった。彼女らは電車の中で一人の美しい婦人が、ボロボロの服をまとった老婦人をいたわりはげましている会話をきいたのである。美しい婦人は、醜い婦人の生活苦の話をきいて、それをなぐさめ、はげまし明るい希望を与え、そうして最後に、千円札を彼女の荷物の中にそっと落してやったのである。貧しい婦人は、乗り換えの駅で、美しい婦人に両手を合せ、土下座して、泪(なみだ)を流して、伏し拝んで礼を言ったのである。闇の女は、この光景をみて、それ以来郷里にかえって正業にかえる決心をしたという投書である。

 諸君はこれを何でもない事だというであろうか。行きずりの 「愛」 の行為が少なくとも三人の女を救うということは、神に於いて偉大なる行為ではあるまいか。百千の議論を討わし、如何に立派な頭脳をもち金をもち合せていても、それを批判と不決断と下劣な欲望とに浪費する者は、よく反省しなければならない。諸君よ、「愛」 は生きている。生きているが故に愛は人間に生命を吹き込むのである。

   人間が幸福となる喜び (p.341〜 )

 吾々は他の喜びを吾が歓びとするのである。ひとが幸福であることが此の上なく喜ばしく感ぜられる。吾が喜びのために、ひとの喜びを犠牲にするのではなく、彼女が幸福であることが吾が歓びであり、彼の成功が吾がことのごとく喜ばしいのである。

 「生長の家」 の御教えが全国に伝えられるのは限りもなく喜ばしい事であるが、それは人々がこの御教えによって幸福になることがわかり切っているから喜ばしいのであって、教団が拡張するのが喜ばしいのでもなければ、同士がふえるのが楽しいのでもないのである。人間が真に幸福であること以外に吾々の喜びはない。

 「生長の家」 という名前が地上から消滅しても、生長の家の説く 「人間神の子、不幸なし」 の御教えは不滅であるから人類は幸福であり、その人類の幸福が、又同時に吾々の幸福なのである。若しかりに、教団の組織が、麻の如くみだれたとしても、吾々はそれによって人間神の子の真理がくもらされるとは思わないし、吾々が完全円満である神の子であることに狂いが来るとも信じない。何事もないのである。畢竟 「吾が国は此の世の国にあらず」 である。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 以上は谷口清超先生著 『愛と祈りを実現するには』 (昭和27年2月、日本がまだ戦後、占領下にあった時に初版が発行されたもの)からでした。

 今日の私たちのために書かれたご文章のようです。

 ありがとうございます。


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