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Web誌友会 板/2
3864
:
a hope
:2014/04/30(水) 10:00:00 ID:cEpBaIdo
(
>>3863
a hope所感)
ここに、まことに「実相礼拝」できたときの心境が書かれているように思います。
「ありがたい、ただありがたい」そう心の奥から湧き上がってくるようにならないと、本物ではないようですね。
でも、実際に見える現象では、ひどい仕打ちをされれば、悲しみや苦しみ、そして絶望感、
もしくは口惜しさ、憎しみ、怒りなどの悪感情が湧き上がってくるのが現象人間なのだと思います。
そんな状況でも、わたしたちは、その現象や相手にむかって「ありがたい、ただありがたい」という心境になって「実相礼拝」が本当にできるのでしょうか?
大調和の神示には「本当の和解は互にこらえ合ったり、我慢し合ったりするのでは得られぬ。こらえたり我慢したりしているのでは心の奥底で和解していぬ、感謝し合ったとき本当の和解が成立する・・・」
とありますが、じゃあ、どうしたらそういう心境になれるんですか、神様!!!
たとえ、上司や親の言う事であっても「真理において納得いかないこと」にただしたがってしまうのは、
宗教の信仰者としては「虚説に和解」していることになってしまわないでしょうか?
これは、わたしがこの3年間、ず〜と考えている「公案」ですが・・・(笑)
どなたかご意見、ご指導をいただければありがたいです。
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