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Web誌友会 板/2

2471復興G:2013/07/28(日) 00:50:18 ID:AB6RqYXc

 さて、「お盆ってなーに?」

 ――盂蘭盆会(うらぼんえ)の由来について。

 お盆は、七月十五日の中元を中心に行ったり、月遅れの八月十五日や旧暦の七月十五日を中心に行うなど、その土地の習慣によってちがいはありますが、ご先祖のみ霊を十三日にお迎えし、十六日(十五日のところもある)にお送りするという、日本人にとって忘れることのできない仏教行事・ご先祖供養にほかなりません。

 『盂蘭盆経』といわれる中国で作られた文書から、お盆のいわれを伝えるお話をご紹介いたします。

 「盂蘭盆(うらぼん)」とは、もともとのことばは「ウランバナ」、訳して「倒懸(とうけん)」といい、つまりさかさまにつるされる苦しみを救うという意味。

 お釈迦さまの弟子の中で神通第一の目連(もくれん)尊者が、「安居(あんご)」 といわれる修行僧の集まりで、亡くなった母のことを思い出し、死後の世界を見たところ、母が何も食べることのできない“餓鬼道(がきどう)の世界”で苦しんでいる姿が見えた。

 目連尊者の母は生涯他人を思いやることなく、もの惜しみの気持が強かったため、死後にその罪で餓鬼の世界に堕ちてしまったのです。

 目連はそれを非常に悲しみ、母を救おうと神通力で食べ物や水を与えようとするが、ことごとく口に入る直前に炎となって、母親の口には入らなかった。

 目連は悲しみ、お釈迦さまに母親を救う方法を尋ねた。釈迦は告げた。

 「七月十五日、安居(あんご)の最後の日に、できるかぎりの食べ物・飲み物・衣服を用意して、母親になりかわって比丘(修行僧)たちみんなに供養のまことをささげるとよい」と。

 その通りに実行すると、比丘たちは飲んだり食べたり踊ったり大喜びをした。するとその喜びが餓鬼道に堕ちている者たちにも伝わり、母親の口にも入った。

 救われた母親の姿を見た目連は、毎年供養を続けることを誓った。

 この行いが二千数百年経た今も、お盆という行事になって伝えられ、行われているのだということです。


 以上は、中国での盆会の由来ですが、日本では、盂蘭盆会では家に帰ってきた先祖の霊魂をもてなす意味合いが濃くなっています。「先祖家に帰ってくる」というのは、元々の仏教の教えにはなく、日本古来の習俗によるもののようです。

 わが家の宗旨は天台宗ですが、天台の 「ぶっきょうスクール」 というパンフレットには、次のように書かれていました。

        ○

  「いのちをいただいた恩返し」

 「わがいのちをいただいた
 母あるは幸いなり
 父あるは幸いなり
 ご先祖あるは
 さらにさらに 幸いなり」

 遠い日の ご先祖とも
 近い日の 亡き人々とも
 深いご縁で結ばれている私
 この方々あってこそ
 今の私があるのです

 いただいた かけがえのない
 このいのち……
 お盆のご供養は
 いのちをいただいた方々への
 ご恩返しにほかなりません。

と。

>>お盆の夕方になると、近所のお寺から提灯(ちょうちん)を下げて先祖の御霊を家に連れて帰る風景がご先祖様を大事に、そしてご先祖と共に生活していることが良く分ります、日本の素晴らしい伝統だと思います。 <<

と、>>2459に閲覧者Aさまが書かれたとおりですね。

閲覧者Aさま、お答えの続きはまた明日以後にさせてください。


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