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Web誌友会 板/2

1875復興G:2013/06/11(火) 09:32:32 ID:AB6RqYXc

 ユタカさん、あなたはすばらしいヒントを与えてくださいました。ありがとうございます。

>>1859

>>ご神像のお見送りはそれは信仰の発露で好かったと思います。プラカードもOKでした。
ただ、原宿本部の依頼した運送屋さんのぞんざいな引越し作業を、どんなに手落ちがあろうとも、ネットを通して全世界にご披露してしまう、というそういう言動に復興G様は苦言を呈しておられると傍から見てそのように思えます。<<

 その通りですね。御神像は「撤去」ではなく、「移転」(山梨へ)です。

 「梅の花の神示」も、よいヒントでした。

    ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

   梅の花の神示

 梅の花の開く時節が来たのである。去年の春に聖典『生命の實相』の一部を或る人に読ませて、読むに従って、一頁毎に、まだ時期来らぬ固き白梅の蕾を一輪ずつ開かせて、その開く毎にポンと音を立てさせてあったのは、弥々(いよいよ)ひらく年の型を見せてあったのである。

 今年が弥々開く年である。昭和八年は弥(や)の年、弥々(いよいよ)の年、八の年、ハナの年、ハリ伸びる年、ハジメに開く年である。ハは開き伸びるという意味であって、春、原、脹、晴、遥等 皆この語源から来るのである。コトバの『ハ』も開くという意味から来たのである。スメラミコト(命―神)が開き展(の)びるとき音をたてるのであるから、固き梅の蕾の花を開かせてその一輪毎にポンポンと音をたてさせて型が示してあったのである。『万ずのもの言葉にて生み出される』と言うことが象徴化して示してあったのである。

 梅の花とは、生みの花――創造(うみ)の始動(はな)のことである。『生みの花』はまた『海の原』のことである。『梅の花』の五弁は五大洋に象(かた)どる。五大洋にスメラミコトの花が開く始まりが今年である。一つ開く毎にポンと音がさせてあるのは何の象徴であるか考えれば判るであろう。

 何事もなしにはスメラミコトの花は開かぬのである。一つ一つ開く毎にポンポンと音を立ててついに五大洋に梅の花がひろがるのである。開くまでには厳寒の冷たい日が続くが、厳寒の冷たい日があるので一陽来復の日が来るのである。無明(まよい)の自壊作用がないのに光明遍照の楽土が来るなどと甘いことを思うな。昨年十二月十一日にも『戦いの時は来たのだ』と知らせてある。ヒノモトの軍が厳かに進むのは、無明の世界を照らす唯一の光が進むのである。甘い平和論に耳を傾ける勿(な)。膏薬貼りで此の世が幸福になるなどと思うな。

 世界には唯一の光しかないのだ。唯一の光であるからヒノモトと呼ぶのである。ほかの光は皆偽の光ばかりである。梅の花には中心が一つしかないではないか。

 世界に中心が幾つもあって争っていて人類が幸福になれるなどと思うな。太陽系にも中心が一つであり、電子群にも中心が一つであり、人間にも頭が一つであり、樹木にも中心の幹は一つである。極微のものから極大のものまで皆中心は一つである。この事実を見て宇宙の意志を窺えよ。地上の国々だけが中心が幾つもあって好いと思うな。複数の中心はニセ物であり、無中心主義もニセ物である。一つの中心が太陽系に成るが如く地上にも成る日が近づいたのである。

 現在無中心主義を標榜する者は皆現在の中心を貶黜(へんちゅつ)して自分が中心を僭称(せんしょう)したいからである。スターリンなど、無明の塊の人物を中心として世界が幸福になれると思うものは愚か者である。

 世界を一つに統一する運動に二つある。一つは露西亜(ロシア)から始まっている運動で、世界を物で支配する運動である。もう一つは霊(ひ)の本(もと)から始まっている運動で、世界を霊で支配し、一つの光明に統一する運動である。この二つの運動の衝突は避けられぬ。時機は迫っているのに、まだヒノモトの使命を知らぬ者があるのは歯痒(はがゆ)い。本当の愛は甘えかす愛ではない。戦いの愛である。(昭和八年一月六日神示)

    ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

<つづく>


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