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Web誌友会 板/2
4448
:
「訊」
:2014/10/09(木) 09:24:29 ID:???
>>4447
文つづき
∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽
◆9.実行によって救われるのではない。救われ済みであるのを喜ぶこと
ある奥さんが言われました。それは「わたしは生長の家にふれさせていただきましたので、子供を毎日、ほめることにしたのです。ところが学校に行きますと、担任の先生は反対に、子供の欠点を徹底的に摘出して、それをたたき直すという方針なんです。これでは却って子供にとっては不幸なのではないでしょうか。どちらかの一つにしてやらないと、却ってほかの子供よりも迷ってしまっているのではないかと思うんですが……」という意味のことでした。その時こちらは、“あなたの子供さんが幸福になられるか、なられないかは関係ないのです。人間が神の子であって、神そのものであって、そのままで完全円満ですばらしいのが真理であるから、ほめたたえているのであって、それは真理だからなのです。真理というものは、子供さんが幸福だとか、不幸だとか、そのように子供さんの都合によって曲げることが出来ないのです。ただただひたすら、「真理への道はただひとつ、人間はそのまま神の子である」ということだけなのです。ただただみ教えをいただいた私たちも、まっしぐらに真理を生きる、ひとすじの道があるのみなのです”と申し上げました。
これと同じことなのですが、また別の人はこう申されました。それは三十歳くらいの練成員の方でした。「今日まで練成を受けさせていただきまして、生長の家のやっていることは将来大いに世界の平和のために役に立つことだ、ということを、よくわからせていただきました。私は今日で帰りますが、どうぞみなさん、しっかりやって下さい。」という意味のことでした。それでこう申し上げたのです。
(つづく)
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