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Web誌友会 板/2
3673
:
トキ
:2014/02/06(木) 19:23:27 ID:xV3s1G5Q
谷口雅春先生著「如意自在の生活365章」の64pを拝読させていただきます。
「人間の生と死を解明す」
また”死する”ことを”他界する”ともいうが、それはあたかもアパートの一室
から他の室に入るようなものである。すぐに他の室に入ることができないで、
廊下へ出て、隣室の人を訪れる。廊下はまだ人の住む世界ではないのであって
空白である。しかし、廊下を通過しなければ、次の部屋に入ることができない
のである。その”廊下”に当たる部分がいわゆる”死”という現象なのである。
釈尊は「涅槃経」の中で、人間の”死”を月の”没”に喩えた。そして、月は
没しても、月はなくなったのではない。その如く、人間は死して視界から
見えなくなっても、人間そのものは死んだのではないとお説きになった。
ベルグソンは、現象界にあらわれている場合の人間を、釘にかかっている
着物に喩えた。そして、”肉体”を”釘”にたとえて、肉体の死を釘が抜ける
ことに喩えた。そして釘が抜けて着物が下に落ちてテーブルの陰に隠れて
も、その着物は見えなくなったが、滅したのではないと同じように、人間
は肉体が死んでも滅したのではないといった。」
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