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4408 不生の仏心:2014/10/02(木) 21:11:58 ID:zTvAOV2w
●ある日至道無難禅師が懇意な商家にいくと、折節その家が大がかりな掃除中で、ちらかしてあり、空いている一間に主人と話していました。
そこに別の商家の使いが来て、紙に包んだ金を渡して帰りました。
長らく話をして、禅師が去った後、主人は金のことを思い出して、懐や、たもとなど探したが見つかりません。しかたなく禅師の元へ行き、もし何かの間違いで持ち帰られた
のではないか、と訊ねると、禅師はそれだけの金を取り出して主人に与えました。

数日後に主人は、例の一間の鴨居の塵を払っていると、紙包みの金が落ちて来ました。主人は驚き、禅師のところへ走り、金を返して詫びると、禅師は何事もなかったように、
それは思い違いをなさったのでしょうと、無心にその金を受け取ったのでした。

●悪口を浴びて村中を「もらい乳」
白隠さんが駿河の原宿(現在の静岡県沼津市原)の松蔭寺に住職してからの話

あるとき、村の娘が父なし子を産みました。
娘の父親は、だれの子かと問い詰めましたが、娘は頑として相手の男の名は口にいたしません。
しかし、とうとう耐えきれずに、白隠さんの子だとウソをついてしまいました。
父親が日ごろから敬愛している白隠さんの子であれば、許してもらえるだろうという娘の浅知恵でした。もちろん白隠さんは、身に覚えのないことです。
娘の父親は松蔭寺に駆けこむや、「この生グサ坊主!よくも娘をキズものにしてくれたな。さあお前の子だ、受けとれ」と怒鳴りながら、赤ん訪を突き出しました。
白隠さんは何の言い訳もせず、「ああ、そうか」と赤子を受けとりました。
この日は飴湯や米の粉をといて与え、翌日からは村中を「もらい乳」して歩き回りました。
それまで、高僧・傑僧として尊敬されている白隠さん、一転してとんでもない破戒僧とさげすまれ、弟子たちはもちろん信者も離れていきました。
それにもかかわらず悠然ともらい乳して歩き、赤子を親身になって育てる白隠さんの姿に、当の娘のほうがこらえきれなくなり、ついに父親に本当のことを白状しました。
驚いた父親は、さっそく白隠さんに非礼をわび、赤子を返してほしいと恐るおそる申し出ましたこのときも白隠さんは「ああ、そうか」と、泰然として赤子を返したといいます。

●一人の乞食坊主が、村人に取っ捕まり、砂浜に首まで埋められました。
浜の塩焼き小屋に放火して、燃やした罪を被せての私刑(死刑)でした。
だんだんと、潮が満ちてきて、乞食坊主の目前に迫ってきます。
そのまま、潮に呑まれ海水をイヤと言うほど呑まされ、水死するのは、もう秒読みに入っていました。
そこで死んだとしても、不埒な乞食坊主が塩焼き小屋に放火して燃やし、その罪で、殺されたというだけで、誰にも知られず、誰の記憶にも残らず、歴史にも残らず、ましてや、
その乞食坊主の名を冠した宗教も興らなかったでしょう。
・・・たまたまそこを通りかかったヒトが、乞食坊主を、助けました。
事情を聞いてみますと村の人に、塩焼き小屋に放火した罪を被せられた、と言います。
・・・そうなのか?と問い詰めると、・・・違う、と乞食坊主答えました。
・・・違うなら、何故、違うと、否定しなかったんだ? というと
、・・・だって、そう相手が思っているのだから、仕様がない・・・
と、その乞食坊主、答えて、何事もなかったかの様に、何処かに歩き去った、というハナシが、伝わって居ります。

その乞食坊主の名は、良寛禅師。

この三人の禅僧の話と>>4396の雅春先生の話と、どちらに感動しますか?


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