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Web誌友会 板/2
4077
:
a hope
:2014/06/19(木) 19:28:00 ID:cEpBaIdo
(
>>4076
a hope 所感 つづき)
人間は、この「浮薄な表面的な快楽主義」に陥っていても、人生がうまくいっている時には成功者のように見え、
周りからの賞賛も受けたりするのかもしれません。
ですが、何かに失敗していったん転落し始めると、そのような人は自ら命を絶ってしまったり、
犯罪に走ってしまったりするケースが多いのではないかと感じています。
そのような唯物論者は過去にも現在にもたくさんいるのではないでしょうか?
「生長の家」が、「人間神の子」の教えを世の中に広める大きな目的は、
このような唯物論者たちを本当の意味で救うことなのだと思います。
ですから、曳馬野さまが、
>>4073
で謹写してくださった箇所に、
<<【私は斯う云ふ意味で教育界から、すべての唯物論者を駆逐したいと思ふ位であります。】>>
という少し過激であるともとれる雅春先生のご発言がありますが、もし、子どもたちを教育する教師が唯物論者であったならば、
たくさんの子供たちを「厭世的」な、もしくは「浮薄な表面的な快楽主義者」に仕立てあげてしまう可能性が大きいわけですから、
雅春先生にしてみれば、そのような「生命の永続性」を信じない唯物論者は「駆逐したい」と思われたのは本心だったのではないかと思います。
ですが、雅春先生は、そのような唯物論者ですら心から愛されて、救いたいと切願されていたのではないかと思いますが・・・。
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