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Web誌友会 板/2

2467復興G:2013/07/27(土) 20:49:37 ID:AB6RqYXc

>>2465 ユタカ様
>>2466  a hope様

素晴らしい体験談、うれしくなりますね。ありがとうございます。

さて、
>>2460 :神の子さん様のご投稿について、具体的に解説させていただく前に、人間とは何かの根本問題について、考えさせて頂きましょう。

 『新版 真理』 第3巻22章 に、次のようなご講義があります。最初に、

<< 『無門関』 の第二十則に 「大力量人(だいりきりょうにん)」 と云う公案があります。

  松源(しょうげん)和尚云く、大力量の人、甚(なに)に因(よ)ってか脚を擡(もた)げ起さざる。

 ――「大力量の人であるのに、何故それ位の重荷を背負ったくらいで、脚を擡(もた)げて起きないのであるか」 と云うのであります。「大力量の人」 と云うのは実は皆さんのことなんです。皆さん一人一人が大力量の人であって、何でも出来ないことは一つもない。それは皆さんの本心が知っていらっしゃるのです。本心に於いては 「人間は神の子で無限力だ」 と云うことがわかっていながら、何によってその無限力を発揮することが出来ないのであるかということが問題であります。>>

 ということから始まって、次のようなお話が載っているのです。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

   自分の心の足音に驚くな(p.294〜299)

 ある人が山の中の真暗な道を、夜おそく歩いておったら、後ろから大入道(おおにゅうどう)が追っかけて来た、その足音がだんだん近づいて来た、さあ敵(かな)わぬと思って一所懸命速歩(はやあし)で歩くと、後ろから追っかけて来る足音もだんだん速歩で近づいて来るのであります。

 「さあ大変」 と云うので走り出したら、向こうも走ってくるらしく、あわただしくパタパタと足音が急速に追っかけて来る。一所懸命逃げたのでありますが、やがて、もう行こうにも向こうが行詰りになっていてそれ以上行くことが出来ない。逃げようにも逃げる道を失ってしまって、さあ今にも後ろから追っかけて来た奴に取っ捉(つか)まって、其の化物(ばけもの)にひと呑みに噛みつかれるかと思って、絶体絶命、ハッと後ろを振り向いたら誰もいない。

 「怪(あや)しいな」 と思って、自分で足踏みして見ると、自分の冷飯草履(ひやめしぞうり)の足踏みする音が、追っかけて来ていた人の足音と同じであった。

 自分を苦しめる別の存在が客観世界に別にあるのかと思うと、それは実は自分の心の影なのです。「大力量の人甚(なに)に因(よ)ってか脚を擡(もた)げ起さざる」 です。君は大力量の人であるのに何の為に逃げているかと云う訳です。この後ろから追っかけて来る者を 「死」 とか 「病」 とか 「老衰」 とか 「貧乏」 とかに考えて見ましょう。

 何も後ろから追っかけて来るものは一つもないのに、何か追っかけて来ていると思って、それを恐れて逃げている人が多いのであります。これが即ち対立の世界観をもっておる人にあらわれる 「世界」 なのであります。つまり 「ペタペタと云う足音の世界」 と云うものと 「自分」 と云うものと別のもので相対立しておって、「彼」 は 「敵」 であると見ておった。ところが、豈(あに)図らんやそんなものは自分と対立している敵ではなくして、自分自身の足音で現わしている世界だったのです。

これと同じように、環境として現れている「世界」は、みんな自分自身の心の波の足音で現わしている世界なのであります。だから、自分自身さえ変ったら周囲が忽ち変ってしまうのであります。

 こうなると、自分自身を害する物は自分の他(ほか)に何もない。是(これ)は非常に楽天的な楽観的な人生観であり、こうした人生観をもつときはじめて人間は幸福になれるのであります。

 世界と云うものをば、鉄壁のように固く頑としておって、吾々がそれにぶつかっても、どうしても砕けないと観じておったら、此の世界はまことに苦しい世界でありますけれども、「自分」 を離れて 「外界」 なんて云うものはないのだ、自分の身辺の事象ことごとく自分が現わしているのだ、人間の生命を脅やかすべく後ろから追っかけて来る化物と見えるものは、実は自分の冷飯草履の足音と同じように自分の心が拵(こしら)えてそこに現わしている自分自身の延長に過ぎないのが外界であります。これは一元的世界観であります。禅の人生観も日本の純粋の思想も本来一元的であるのであります。

 さきにのべたように二元観に立つ西田哲学は、嘗(かつ)て其の筋の批評家から 「始めて日本の哲学を創始した」 と云って褒められたことがありますけれども、あの二元観は日本の哲学ではないのであります。日本の哲学は 「一」 の哲学であります。世界の国々は沢山に分かれているけれども 「本来一つ」 と云う哲学が日本の哲学でなければならないのであります。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆


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