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Web誌友会 板/2
2911
:
復興G
:2013/09/25(水) 20:08:13 ID:AB6RqYXc
私たちは、かつて谷口雅春先生に頼りすぎていたのです。
『菩薩は何を為すべきか』 に
<<生長の家大神――総裁・副総裁――御教。この三つを結び貫く神意の展開が、光明化運動の不動の中心である事を、生長の家人たるものは一瞬たりとも忘れてはならない。>>
とあることを金科玉条として、神意は総裁・副総裁を通してのみ天降るのであって、生長の家信徒たるわれわれは、それに盲目的に従わなくてはならない、と思い込んでいたのは間違いであった。
私たちは、「神意」 に中心帰一しなくてはならない。それは、前記 光明化運動指針第9条のつづきに、
<<如何にその人が有力者であろうと長年光明化運動に献身して来ようと、素晴らしき体験をもつ指導者であろうと、断じてその人を中心にしてはならない。
若(も)しも人を中心とすれば、その人が理解し把握している以上の運動の展開は不可能となり、歪んでいれば運動も歪むほかなく、その人とそりの合わぬ者、反対意見の者は身を引くか、対立して禍根を残すであろうし、若し或る人が情熱的な信仰を持つ場合、その人が真に中心を明らかに自覚している場合はよいが、唯熱心であるだけならば、何時かその人に頼り過ぎ、その人が転任或は他界した場合は、忽ち火の消えた様に衰微してしまった如き事例は往々にしてある。
すべて皆中心を誤っていることに気がつかなかった為である。光明化運動に於いては人は中心ではない。神意が中心である。>>
と書かれているのでありますし、
>>2910
で引用させていただきました 『幸福生活論』 では
<<神は吾々の外にあるのではない。また或る特定の人、法王や、皇帝や、祭司や、管長やのみにあるのではないのであります。
ある時代には、吾々は神の力は吾々を離れて遠き所にあると思っていましたし、また或る時代には、或る特定の階級人のみに神意が顕現していると考えていました。
しかし宗教にも民主的な時代が来たのです。今や吾々は聖パウロが言ったように神はわが内に、全ての人の中(うち)に宿っていることを知ったのです。>>
とご教示いただいているのであります。
今でも、「神意は総裁を通してのみ天降るのだから、総裁に中心帰一しなければならない」 と、信徒に盲目的な奴隷信仰のようなことをすすめる役員や講師があるようですが、それは雅宣総裁が排除される 「原理主義」 に通じることで、間違っていると思います。
<つづく>
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