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Web誌友会 板/2
2652
:
きのゆり(志恩)
:2013/08/20(火) 11:59:55 ID:.QY5jUA6
つづき
トーキングスティックボード
701 :初心者:2011/11/09(水) 09:00:03 ID:hogyfr1M
それと、以前、復興Gさまも、ラカンの思想は百年もたてばあぶくのごとく消え去る
といわれました。
そして今回、志恩様も、わたくしの例えは、数十年もすれば
使いものにならなくなるといわれました。
まずラカンについては、人類が言葉を
もちいるかぎり、その思想が消え去ることはありません。ラカンの思想とは、
言葉についての思想であり、この問題は、千年以上も前から語られておりますが、
いまだ人類は、その解決の糸口さえ見いだせてはおりません。
しかも雅春先生は、この問題にかんして、おそらくひと言も言及しておられません。
わたくしが、雅春先生の教えに疑問をもつとすれば、生長の家が、言葉によって
真理を宣布しようとする団体でありながら、言葉の問題についてひと言も言及して
おられないということであります。うまく避けられた。そのような印象さえあります。
「スパイ」という言葉がなければスパイを見ることはできません。これと同様に、
「実相」という言葉がなければ、実相を観ることも、観じることもできないので
あります。言葉と、その言葉が指し示す対象は同時に生起します。実相が
まずあって、それに「実相」という言葉がつけられたのではありません。「実相」という
言葉と、この言葉が指し示めした実相は、同時に生起したのであります。少なくとも
わたくしは、このように考えるのであります。
これにより、実相とは、言葉の効果ではないのか、との疑問が出てまいります。
この疑問に、雅春先生は、答えておられない。ただのいちどとして向き合っても
おられないのです。いまだ解決されていない重大な問題を、雅春先生は避けて
とおられた。わたくしはこのように考えているのであります。
ラカンの思想があぶくのごとく消え去ることはありません。たとえ消えたと見えても、
ちがう形で生き残ります。なぜなら、ラカンの思想とは、人類が、そして雅春先生で
さえも解決しえなかった、言語それじたいの問題への言及だからであります。
ラカンは、誠実にその問題と向き合ったのです。。雅春先生は、なぜかしら向き
合われなかった。誠実に向き合ったラカンの思想があぶくのごとく消え去り、なぜか
しら向き合われなかった雅春先生の思想が永遠に輝きを放ちつづけると考える
のは、はたして正しいことなのでありましょうか。わたくしは、雅春先生が、言語の問題
に向き合われなかったことに、重大な疑惑を抱いております。
それとわたくしの例えが数十年先には消え去ると、志恩様はいっておられますが、
これはどのような根拠にもとづく推論なのでありましょう。ひも理論があと数十年で
解消される。そういう意味なのでありましょうか。数学的な記述としては、おそらく
ひも理論は、完全なものなのでありましょう。数学的に完全ともいえるひも理論が、
数十年で解消され、消え去るということが考えられるのでありましょうか。
それは絶対にないとはいえませんが、ひも理論に代わる理論としては、たとえば
ロジャー・ペンローズのツイスターと呼ばれる理論があるということを、わたくしは
存じております。こうした理論が、ひも理論に打ち勝つとすれば、それこそが、
役行者様のいっておられる弁証法的発展ということになるのでありましょう。
科学はこのようにして発展をつづけます。弁証法的発展を拒絶し、変われない
宗教と、弁証法を受け入れて変われる科学。いったいどちらが優れているので
ありましょう。数十年で変わるからといって高をくくっていると、いずれ宗教は、
さらに手痛い挫折を味あわされることになるのではありませんか。
それと志恩様は、「真理」という言葉を使って、それが完全無欠であるということを
述べておられますが、まずひとつは、「真理」という言葉をどういう意味で使って
おられるのか、それを問うてみたいとおもいます。
それと、「真理」にしても、「完全無欠」にしても、これは言葉であります。
このような言葉を易々と使われておられる
ことから、わたくしは、ラカンが直面した言語の問題に、志恩様が誠実に向き合われているとは、
とてもおもうことができないのであります。
いまいちど、言語について
深く考えていただきますことを希望いたします。
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