[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
701-
801-
901-
1001-
1101-
1201-
1301-
1401-
1501-
1601-
1701-
1801-
1901-
2001-
2101-
2201-
2301-
2401-
2501-
2601-
2701-
2801-
2901-
3001-
3101-
3201-
3301-
3401-
3501-
3601-
3701-
3801-
3901-
4001-
4101-
4201-
4301-
4401-
4501-
4601-
4701-
4801-
4901-
5001-
5101-
5201-
5301-
5401-
5501-
5601-
5701-
5801-
5901-
6001-
6101-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
Web誌友会 板/2
1469
:
こんにちは
:2013/05/29(水) 16:26:31 ID:BhT8NxPg
>>1463
復興G様
谷口雅春先生のご文章の抜粋ありがとうございます。
しかしこのご文章は、谷口雅春先生自らが、「純粋な宗教的立場」だけではどうにもならないことがある、と言っているように思います。
純粋な宗教的立場とは、もちろん、実相独在に立つということでしょう。
ですから、谷口雅春先生は実相独在に立つばかりでは解決しないことがある、とおっしゃっているように解釈できます。
その意味で、a hope様のおっしゃることは、あながち間違いであるとばかりは言えないのではないでしょうか?
生長の家教団が、政治運動によって傷ついたのは、間違いのない事実です。
お金のことや倫理的なことなど、政治に関わることによって様々な問題が生じたことは、私などよりも復興G様の方がよくご存知でしょう。
これは、単なる現象上の問題として片付けることは、できないと思います。
なぜなら、純粋な宗教運動に徹していれば、このような問題は生じなかったからです。
純粋な宗教運動であれば、実相独在に立った運動がしやすい。
しかし政治運動すると、実相独在に立たない運動にならざるを得ない。
それゆえ、生長の家教団は、政治運動によって傷ついたのではないでしょうか?
抜粋されたご文章は、そのことを谷口雅春先生ご自身が認めていらっしゃるように思うのです。
言い換えれば、国家的問題への取り組みは、「現象処理」という色彩を強く持たざるを得ない、ということです。
実相独在とは別の立場による運動になる、ということです。
違いますでしょうか?
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板