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Web誌友会 板/2
2839
:
復興G
:2013/09/20(金) 23:23:05 ID:AB6RqYXc
>>2838
:a hopeさま
私も、
≪「救ってやる」という心では本当は人を救うことはできないのです。
「救ってやる」という心の中には自分は彼より偉いところにいる、高いところにいるという慢心がある。
そして相手に対しては「お前はわたしに救ってもらわなければ生きられない憐れな奴だ」という軽蔑がある。
この自己慢心と相手軽蔑とがある以上は本当は相手を救うことができないのです。
本当は相手を救うということは、相手を軽蔑して何かを与えるということであってはならないのです。
相手の神性をみる、相手を尊敬して相手の内に隠れている神性を拝み出し、本当の強い立派な相手を内から目覚めさせてあげるのが本当の救いなのです。・・・≫
というところには赤線を引いていました。
関連するお教えに、『静思集』 p.33〜
<< 同情は善いことでありますが、憐憫(れんびん)はよくないことなのでございます。
人が悲しみに陥つてゐる際に、その悲しみに同悲の念を起して一緒に泣いてやるのは美しい同情でございます。然し、この人は 「憐(あわ)れな人だ」 と憐憫の情を起すのは善くないことです。
同情と憐憫とはよく似たことですけれども、非常に相異してゐるのでございます。同情は相手と同じ情に泣くのでございますけれども 「この人は弱い人だ」 と云ふ軽蔑は伴ひません。ところが憐憫は、「この人は憐れな人だ、とても起ち上る力がないであらう」 と云ふやうな相手を弱者と見るやうな軽蔑の感じが伴ひ易いものでございます。
憐憫は必ずしも同情を伴ひません。憐れなる乞食を見ても可哀想だとは思ひますが、乞食と同じ感情にまで成れないのが普通でございます。即ち同情と憐憫とはよく似た感情でございますが紙一重のところで全く相異してゐるのでございます。
吾々は人から憐れまれる事を断じて拒絶する強さを持たねばなりません。艱難に陥つてゐると云ふことは憐れまるべきことではありません。吾々の魂がその時こそ高められ浄められてゐる時なのでございます。
では艱難に陥つてゐる人を憐れむ理由が何処にあるでせう。吾々は彼等に 「可哀想だ!」 と云ふ言葉を投げかけるよりも、「君は起ち上がる力がある」 と強くその人の力を鼓舞する言葉をこそ投げかくべきでございます。>>
とあります。とても大切なことだと思います。
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