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Web誌友会 板/2

6024a hope:2015/12/01(火) 00:22:01 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第23巻 p82 後から2行目〜

それは肉体キリストではない、真理キリストであります。

アブラハム以前より存在し、二千年前にはキリストの肉体に宿り、今またわが肉体に宿りて、「本当の父」(完全んる神、神罰なき神、罪も病も創造らざる神)を証(あかし)するところの真理キリストであります。

真理によらざれば本当の父を見分けることができない。

「われに由(よ)らで誰にても父の御許に至るものなし」とはこういう意味だったのであります。

(略)

p83 後から2行目〜
「実相(われ)に依らで父の御許に至ものなし。」実にそうです。

「実相」を知らないでは、継親を本親だと見間違えるほかはないのであります。

だからわれわれは常に「実相」を呼び出すことが必要なのです。


ところが、この実相というものはどこにあるかというと、遠いところにない。

自分のうちにあるのであります。

だからある禅宗の偉い坊さんは「主人公、主人公」と毎日自分を読んでまた自分で「ハイ、ハイ」と答えていたそうであります。

生長の家では「神の子、神の子」と呼んで、「ハイ、ハイ」と答えるのであります。

道を歩いている時にも「今、神の子が道を歩いていると思う」のであります。

また神想観といって自分が神の子である実相を観ずる修行をするのであります。

そして心の底から自分が土の塵にて造られたアダムの子であるという潜在意識が消え、すべての罪の意識が消えたときに、われらは完全に救われたということになり、すべての自由な完全な状態が、実相そのままの現れとして自分自身に実現するのであります。

キリストが「汝の罪赦されたり、起ちて歩め」と言って病者を癒やされたごとく、わたしもまた同じように言って病者を癒やすことができるのは自分自身の罪の観念で自縄自縛された結果、病気をあらわしている者が、罪の観念を解除された結果、自然に治るのであります。

生長の家は出現して以来、多くの信徒たちがただ、『生命の實相』の聖典を読むだけで、その『生命の實相』の内容を語り伝えるだけで多くの病者を癒やしえた体験を発表していられるのも、神の創造(つく)り給える世界には本来罪も無く神罰もないからであります。


常楽篇 終り


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