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Web誌友会 板/2

236復興G:2013/02/16(土) 22:00:16 ID:AB6RqYXc

テキスト 『生命の實相』 第2巻 第5章より<8>

 かりにわれわれが絵を描こうと思って、絵に精神統一をしていますと、その精神集中力が磁石的な引力となって絵を完成するに必要な霊界の波動が、「類をもって集まる」または「類は類を招(よ)ぶ」という心の法則に従って集まってくるのであります。
 絵でも文学でも発明でも皆同じことであります。
 インスピレーションというのが、霊界の波動を感受することをいうのであります。われわれのいう精神統一とはポカンとして無念無想になってしまうことではなく、一心不乱に一つのことに精神を純粋に集中することであります。

 われわれは何も思わなくなるということは決してできないものでありまして、たとい表面の心がポカンとして何も考えていなくとも、奥底にあって「隠れている表面に浮かばない心」は一つの習慣的なリズム(調子)をもって常に活動しているのであります。
 だからわたしはこの「隠れている心」を「習慣の心」といっているのであります。
 ラジオの受信機が波長の合った放送だけを感受するように、われわれの心の習慣的なリズムは、そのリズム相応の精神波動を霊界から感受し、それを現実世界の形あるものとするのであります。

 だから心の習慣的リズムの清まり方しだいでわれわれは最高(いとたか)き神界から発するリズムにも感ずることもできるのであります。
 「心の清き者は神を見ることができる」というのはこのことをいったのであります。
 心の習慣的リズムの清きものは神を見ることができますが、心の習慣的リズムが芸術家であるものは、霊界の大芸術家から放散するリズムを感受して、それを現実世界の芸術としてあらわすのであります。

 ダッフェ女史の自動書記にあらわれた霊界旅行記には、霊界の大芸術家を感受していかにこの地上の芸術家が芸術を完成するかの手続きがかなり明瞭に示されてあります。

 ある日小児に誘われて近隣の人々のありさまを見に出かけたことがあります。最初に訪ずれたのはある画室で、そこでは一人の画家が心血を注いで力作中であった。
 彼の刷毛(はけ)の先から出てくる巧妙な色彩、眼の前の画布に現われてくる物象は実在のごとく思われるほど生命の満ちたものでありました。
 私は画に親しむ時間を持たなかったため自分で描く事はできないのですが、心中に潜む趣味は鑑賞家としての資格だけはわたしに与えてくれました。
 けれども生前数多く見た名画のうちにもこれほどの感銘を見出しえなかったのです。恍惚とその画の前に立ちつくしたわたしを遮らずに、しばらくわたしを審美の世界に楽しませてくれたこの画家は最後に口を開きました。
 「あなたはまだ半分だけしか見ていられません。他の半分も御覧になりませんか。」

 彼の画は完成しておったので、わたしには彼の意味が受け取れず、なんのことかと迷っていると見る見る彼の姿もその作画も画室もろとも消滅して、とって代った光景は、現界のある画室の内部、なかに一人の若者が熱心に絵筆を動かしつつあるところでありました。
 わたしにはその画家の心中が読めるのでしたが、彼はわたしが今賞讃した偉大な画を幻に見たのです。そして比べようもなくつよい衝動にかられてその美しい印象をありのまま描こうと懸命の努力をしているのでした。

 この不思議な光景をわたしに示した画家がこの時傍(そば)におったので、わたしは尋ねました。

 「これはいったいどうした事なのでしょう?」

 「現界の名画というもののすべては、霊の世界にその本体があるということをおめにかけたのです。
 あの画家はああして筆を動かす前にすでにわたしの描いた絵の幻影を心中に捉えておるのです。
 そしてもしあなたが御質問なされば彼は必ず自分の筆が心中の画想を完全に表現しえぬことを嘆くに相違ありません。
 こうした人々を地上では天才と呼んでいるのです。」彼は会心の微笑を口辺に浮かべておりました。
<つづく>


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