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Web誌友会 板/2
5319
:
a hope
:2015/03/29(日) 23:09:35 ID:cEpBaIdo
みなさま こんばんは
コヨーテさんのコメントの内容がわたしにはよく理解できなかったのですが、
>>5317
の応援さんのコメントを拝見して、コヨーテさんが言わんとしたことがなんとなくわかったようなきがします。
つまり、修養には「欲ばり根性のような汚い心を半ば強制的に外からの訓練によって叩き直す」ようなイメージがあるので、
それが、牛乳瓶の外側だけを磨いて綺麗にしていることのイメージと重なり、
そして、そのような修養的なやり方では、本当に心を浄めることは無理だとおっしゃりたかったのでしょうか?
そうだとすると、コヨーテさんのおっしゃることは、その通りだと思います。
心を浄め、真理を悟るためにはどんなに辛い修行をしても駄目だということは、
すでに釈迦やキリスト、そして谷口雅春先生が証明してくださっていますものね。
わたしは自分の心がどれだけ浄まったかは、
どれだけ自分の置かれた環境に「感謝」できたかでわかるのではではないかと感じています。
実は、わたしはここのところいろいろとありまして、なかなかゆっくりパソコンに向かう心の余裕がありませんでした。
家族が具合がわるくなったり、仕事で失敗したり、子供が問題行動を起こしたり・・・ちょっと気づかれすることが重なり、
精神的に追い込まれ、実際、一晩眠れないくらい心が動揺した夜もありました。
ですが、どんな困難があっても、どんなに苦しんでも、
「その困難や苦しみは自分が生長できる大きなチャンスだからありがたいんだ」って思うようにしました。
そしたら、本当に次の日朝の神想観で瞼の裏に素晴らしい光が見えて、すがすがしい気持ちになることができて、
それから、すべてが好転していきました。
そういう意味で、自分から辛い修行を求めなくても、今現在の自分の置かれた状況に感謝できるようになるのが、
それが一番の修養になるのではないかと感じています。
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