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Web誌友会 板/2

3326a hope:2013/11/17(日) 16:17:16 ID:/9IAdiFk

(つづき)
生命の實相 第六巻 P35 5行目〜
『・・・では、人の病を癒やすにはどういう祈りがよいのでしょうか。「神よ、この者の罪を赦して病(やまい)を取り去り給え」と厳かに声を出して、患者に聴こえるように唱えて大いに効果を奏することもあります。

しかし、これは、神というものは人間みたいな人格的なものであって、頼めばきいてくださるし、頼まなければきいてくださらないというような、神と人間とが相はなれた観念を与えやすいのであります。

このような祈りだけでは人間が「神の子」であり、本来無病である真理がわからないのであります。神と人間とが対立的になって、人間は本来病気になるものであって、人間と対立した神秘的な人格神があらわれて、その病気を治してくださるだろう、という自分の期待と信念によって治るのであります。

そのような期待の念と深い信念とは、「環境は心の影」という心の法則によりまして、われわれの周囲に、われわれに働きかけて治してくれる人格神を引き寄せることになるのであります。この人格神というのは聖典『生命の實相』に説いてある第三義の幽神(かみ・ゆうしん)、すなわち「個性ある何かの霊魂」であります。

いわゆる信心深いというという人で、お宮やお厨子(ずし)を飾りたてて、その中に住んでいられる神秘的人格神の冥護(めいご)を常に祈っているような人たちの周囲には、この「個性ある何かの霊魂」が感応して、ある程度の守護をしてくれる場合が多いのであります。ふつう「守護神」といわれるもののうちには、自己の祖先霊のほかにこの種の霊魂がおうおうあります。


かく、悟りによらず、祈願による場合は、(1)祈りに対する自己の期待と信念によって病気が治る。(2)前記のごとき「個性ある何かの霊魂」に感応して病気を治してくれる。この二者の一方または両方が作用しまして、ある程度まで確かに効きますが、その治るのは吾が実相の無限神性が現れるからではなく、実相の絶対神が作用するのではなく、病気の人間が「第三者」に治してもらうというように相対的に働くのであって、「病気でない神性の自覚」ではないのでありますから、根本的癒しとはならないのであります。

詳しくいえば、それは「病気あり」と認めて、霊魂の医者にかかって治してもらうということになっているのであります。こういう相対的に働く霊的治療と、自己の絶対神性を悟って、神の子本来の「無病の実相」があらわれるのとは別であります。・・・』

以上、謹写終わり

感謝 合掌

(つづく)


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