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Web誌友会 板/2

2996マリーゴールド:2013/10/01(火) 21:20:52 ID:???

 合掌 有難うございます。

 復興G様

 >>2984において、復興G様より私へのメッセージを拝見させて戴きました。
 私は、好い加減なお返事をさせて頂きたくはありませんし、いま現在、>>2984の復興G様の私に対しての御言葉に私自身、言葉がまとまりません。
 いま現在は、「心から感謝申し上げます」という言葉のみにさせてくださいませ。

 そして>>2989におきまして、私を含めお祈りをして戴きましたこと、魂の奥底より感謝申し上げます。
 
 復興G様と志恩様の対話を拝見させて戴きました。
 >>2989におきまして、復興G様が大変わかり易く、説明くださいました。

>>「合わせ鏡」 というのを、「常に自己反省ばかりしておれ」 という意味にとっていると、
>>公人である総裁につきましては、彼と私が 「合わせ鏡」 だとは、思う事は出来ないのです<<
 ということになるかも知れませんが、必ずしもそういうことではない。剣道でも自他一体の自覚を持てば、相手を撃つことは自分を撃つことで、自分の隙は自分で知っているから、ぴしりと急所を突いて撃つことが出来るという 「無敵流平法」 のように、適切な発言も行動もできる――それが本当の 「和解」 ではないかと、私は思います。>>

なるほど・・・。
ここを読ませて戴いたときに、私が教団信徒を辞めて間もない頃に抱いた感情を思い出しました。
その感情とは

「雅宣総裁、有難うございます。あなたが総裁でいらっしゃったお蔭で、私はこれほどまでに、生命の實相を学びたい。真理を真剣に学びたい・・・そう感じることが出来ました。雅宣総裁でなければ、私はそのように恐らく感じなかったでしょう。雅宣総裁は、ハッキリと真実と偽を分けてくださった。有難うございます。」
という感情です。
「合わせ鏡」というのは、必ずしも「相手の姿をみて反省」ではなく、相手を通して学ばせて頂く学びではないか・・・と感じました。
「あの人がこんな事しているから、私はしないようにしよう」という見方もあるやも知れません。
私が感じましたのは、「相手の存在を我が学びにしよう」それこそ、「合わせ鏡」かしら・・・と思いました。

それから、復興G様は>>2992におきまして、金木犀様のご文章を掲載下さいました。
大変懐かしく拝見させて戴きました。

>>今、現象的に分裂状態が現れているのは、実相の 「神の国」 が地上に顕現する過程として、「迷いと迷いとが相撃って自壊する過程」 として必然性があるとしても、一時的なものであって、やがて必ず 「一つ」 の本物、実相が顕現するのだと思います。
その 「実相」 を観じ、祈りながら行動して行きたいと思います。 >>

の中で、「迷いと迷いとが相撃って自壊する過程」と御説明下さっておられます。

この「迷いと迷い」と申しますのは、教団と社会事業団の裁判のことを指しておられるのでしょうか?
もしくは、現在の教団と学ぶ会等のことを指して仰っておられるのでしょうか?

私は現在、教団信徒ではございませんから、教団に関することの直接的な意見は控えます。
もしも万一、復興G様の仰る「迷いと迷い」が教団と学ぶ会等の本流のことを指して仰っておられるとするならば、私はここに疑問が生じます。

その疑問とは、「生命の實相を護ろう・・後世に遺そうと立ち上がっている社会事業団や、学ぶ会などの団体が、何故に“迷い”として表現されるのでしょうか?

(次につづきます)


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