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Web誌友会 板/2
2469
:
復興G
:2013/07/27(土) 23:14:23 ID:AB6RqYXc
すべては 「本来一つ」 であるということは、常にご先祖様は私たちの中にいらっしゃり、ご先祖様の中に私たちはあり、分かちがたくご先祖様と私たちはいっぺんも離れたことがない、ということでありますね。
「本来一つ」 であって、「一即多」 「多即一」 と時空間のスクリーンに映像(かげ)を展開しているのが現象世界である。
ご先祖様は、この世ではすべてを与えきって、消えきって、何も持たず空っぽになってあの世へ行かれた。
そのご先祖様から生命(いのち)をいただいて、私たちは生きている、生かされている。私たちのいのちはご先祖様のいのちだったのですね。だから私たちも本来空っぽだったのですね。
「報本反始(ほうほんはんし)」という言葉があります。
「本(もと)に報い、始めに反(かえ)る」 ということ。
「大地は神様、根は先祖/幹は両親、子孫は枝葉/枝葉に花咲き、よき果(み)を結ぶは/親に孝養、先祖に供養」 というのがそれですね。
ところで、私たちは本来神の子、神である。無限完全円満なるものである。
しかし、現象に於いてはその無限なるものを自己限定して段階的に表現しつつあるのである。
今生(こんじょう)には今生の肉体に誕生日があり、死ぬ時が来る。
しかし、肉体は死んでも生命は死なず、表現の場(界)を変えて生き続ける。
『生命の實相』 第23巻 「経典篇二 聖経 『天使の言葉』 講義」 には、次のようにご教示下さっています。
(十)
『念』 に従って一つの組織を現ぜるもの
この 『生ける肉体』 なり。
されば 『生ける肉体』 は念に従ってその状(すがた)を変ず。
『健』 を念ずれば身健かとなり、
『病』 を念ずれば身に病を現ず。
されば汝ら常に 『健』 を念じて
『病』 を念ずること勿れ。
若(も)し、汝の 『念』 肉体を去れば、
生ける肉体死体と変じ、
死体はその状態を維持する 『念』 の力の去ると共に、
分解して宇宙の要素に復帰せん。
肉体を去りたる 『念』 は、
その念の力にてなお一つの個性を持続し、
幽界に於て生活(いとなみ)をつづけん。
汝らの霊魂と称するもの是にして、
『念(こころ)』 の浄まるに従って
それに相応(ふさわ)しき高き霊界に入り、
『念』 の浄まらざるものは、
それに相応しき環境を 『念』 の力にて仮作(けさ)し、
その環境にいて苦しまん。
されば汝ら、
常に心を高く持して
苟(いやしく)も悪を念ずること勿れ。
苟も不浄を念ずること勿れ。
また苟も苦(くるしみ)を念ずること勿れ。
また苟も病を念ずること勿れ。
悪と不浄と苦(くるしみ)と病とは、
神の創造(つく)り給いしものに非ざれば、
ただ汝らの 『念』 の妄想せる幻に過ぎざるなり。
汝ら暗(やみ)を見て、
暗を実在すと信ずること勿れ。
暗は唯是れ光の非在に過ぎず。
悪と不浄と苦(くるしみ)と病とは
ただ神の創造の無をあらわす。
神の創造なければ
其処に実在なし、
実在の 『無』 ――これを称して悪と云い不浄と云い苦(くるしみ)と云い病と云う。
(中略)
されど病は実在に非ずして
ただ恐怖の反映(かげ)に過ぎず。
心の暗(やみ)の中に光射し来りて
汝らの恐怖心消ゆるとき
病はおのずから自消自滅して本来の『無』を露(あら)わさん。
<つづく>
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