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Web誌友会 板/2
5216
:
a hope
:2015/03/09(月) 08:30:54 ID:cEpBaIdo
(
>>5215
a hope 所感)
わたしが「生長の家」の信徒になろうと決心したのは、生長の家が「万教帰一の教え」だったからです。
<<ところが『生長の家』を読むと神様はもとは一つということが書いてある。そして千変万化せられて境に従い人に従うてお出でなさるためにいろいろの宗教、いろいろの神に顕われあそばされているということがわかった。それで今までのような排他的な神さまの間に挟まって苦しむということがなくなったのであります。>>
わたしも、聖典「生命の實相」を初めて拝読した時、上の水田さんとほぼ同様の感動体験をし、心が解放されたのを思い出しました。
ですが、いざ信徒になってみると、この「万教帰一の教え」や「人間神の子」を信仰しているはずの「生長の家」が内部分裂を起こし、
信徒同士が裁判で争ったり、悪口を言い合ったりしていました。
そしてわたしの求めていた、全包容的な「生長の家の大神」は雲隠れしてしまっていたのです。
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