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Web誌友会 板/2

5194a hope:2015/02/27(金) 12:09:52 ID:cEpBaIdo

(a hope まとめ)

「生命の實相」第16巻 
二 神社と信仰より


【神はその宮を毀(こわ)されたら神罰を当てるか?】

<<谷口――本当の神様なら神罰は当たらないはずです。本当の神様は神の宮の中にいられないから神の宮を毀(こぼ)っても神自身は汚されようがないのです。神は神の宮が毀(こわ)れたり、立派になったくらいで、自分の神聖さが殖えたり減ったりするものではない。だから神にとっては神殿の立つも毀れるもおなじことです。それほどの神様であってこそ尊いのです。>>p59 2行目〜



【ではわれわれ人間はなぜ、宮や神殿を拝するのか?】

<<われわれが神殿を拝するのは自分の信仰を外に出して形に顕してそれを拝むことになるのです。・・・(略)
・・・それと同じく心のうちにある信仰を外界へ投影(うつした)して拝みたいという人間の要求が宮を作り神殿を構え、神体を安置することになるのです。>>p59 8行目〜



【宮や神殿は実在か影か?】

<<実在の神は霊であって物質に憑(よ)るものではありません。その宮は、人間が実在の神をわが心に反射して、外の形ある姿に翻訳し客観化したのです。画家が「実在の美」を感得する程度にもいろいろあり、その程度に従って絵の形が変わってくるように、人間が神を感得する程度にもいろいろあり、その程度に従って、神の宮や、神体にもいろいろ形が相異してくるのです。>>



【神社が『鏡(かがみ)』を御神体とし拝する理由】

<<われわれが神を祭祀するのに一点「私」の姿を映さないで、立ち向かうものすべてを自分の内に映す「鏡」を御神体として拝するということは誠に意義のあることだと思います。神はすべてを包容して無相(すがたなし)であると同時に、拝む人の心のとおりに顕われ給うのですから、鏡をもって象徴するのが相応(ふさわ)しいのです。>>


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