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Web誌友会 板/2
5760
:
純粋教理批判
:2015/09/23(水) 12:56:00 ID:DD4jWV6M
実相にもいろいろある。
「物質はない」ということはいえるでしょう。しかしたとえば行く手に電信柱があるのに「電信柱はないんだ」とそのまままっすぐ歩いていけばぶつかって痛いおもいをします。電信柱はないはずなのになぜぶつかるのかといえばそこに力が働いているからです。
電信柱にぶつかった瞬間、それは力を感じた瞬間でもあるわけですが、この一瞬、人は実相世界にいるともいえる。しかしそのすぐあとに「痛い」とか「こんちくしょう」とかの思いが湧いてきて人はたちまちにして現象の世界にひきずりこまれる。
こういうことが起きているとすれば力はそれじたいが実相ともいえるが、人間が解釈や判断をくわえた途端に力は現象へと落ち込んでいく。力は実相でもあれば現象でもある。しかしここでいう実相とは「究極の実相」ではないということだけはいえる。
「それがある」、「それがただある」、これが究極の実相です。究極の実相を想像するのはそれほどむつかしくはない。宇宙のなかに自分一人だけがいると想像できれば、これが究極の実相です。
自分以外には何もない。もちろん自分もない。自分という感覚は他人があればこそであって、他人がいなければ自分という感覚もない。ただそこにあるだけ。まわりには何もない。
いや、まわりというものさえない。それがある。ただそれがある。
実相独在とはこういう意味です。ほかに何もない。「ほか」という観念もない。ほんとうになにもない。「ない」ということもない。「ただあるだけ」としかいいようがない。これが究極の実相です。
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