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Web誌友会 板/2
965
:
復興G
:2013/05/05(日) 20:28:47 ID:AB6RqYXc
<神示講義・自覚の巻『到彼岸の神示』より 謹写つづき>
その生き通しの『生命』のみが「本当の自分」であり、諸君自身であり、肉体は単なる作業服であるにすぎないのであります。この『生命』のことを「みたま」と称するのであります。漢字を当て嵌めれば「霊」であり、英語をあてはめればSpiritであります。神示は続いて次の如く教えられています。
「此の『生命』をみたまと云う。みたまの形は珠(たま)のように真ん円(まる)いからみたまと云うように解するものもあれども、真ん円いのは形のことではない。神は本来形無く、空(くう)のうちに円満具足して自由自在であるから仮りに称して円相と云うのである。
自由自在なるが故に或る時は龍神(りゅうじん)の姿を現じ、或る時は衣冠束帯(いかんそくたい)の姿を現じ、或る時は天使天童の姿を現ずる。いずれの姿も権化(ごんげ)であって偽(いつわり)ではない。しかし一つの形に執(しゅう)してそれのみを吾れであると思うものは、吾が真実を知らざるものである。吾が全相を知らざるものである。
汝ら心して真(まこと)を知れ。汝(なんじ)たちも神の子であるから我れと同じきものである。肉体は汝の一つの現れであって汝の全相ではないのである。」
この神示は私がまだ住吉村に住んでいた頃、誌友の畑中猶三(ゆうぞう)という人が三日会という心霊現象研究の会を、毎月三のつく日に開いていたのですが、その席上で、数人の人々が同時に同じ姿の生長の家の神様の白髯(はくぜん)白髪白衣の衣冠束帯の神姿を顕したり、また龍神の姿を拝んだと言う人があったり、或は観世音菩薩の姿を拝したと言う人があったりして、神様を一定の姿をしていられるものだと考え勝ちになろうとしていた昭和七年の其頃、神は円相であって、無限相であり、決して一定の固定した姿ではないのだということを知らせるために渙発(かんぱつ)せられた神示なのであります。
あらゆる姿を完全に全部そなえているのが神であるから、「完全に全部をそなえている」という意味での「円相」であり「みたま」であるとお示しになっているのであります。
この神示で大切なところは「汝(なんじ)ら心して真(まこと)を知れ。汝たちも神の子であるから我れと同じきものである」というところであります。「神」と「神の子」とは一体であり、神が「みたま」であり完全円相であるが如く、人間も「みたま」であり、完全円相であると教えられているのであります。
その神が各人の「生命」であり「真我」であり各人の“I am”なのであります。だから「『生命』のみが吾れであり、汝らであり、そのほかに吾れも汝もないのである」と示されているのであります。
この“I am”は「私は……」(I am)「何々である」という通りに一切のものをあらわすことが出来るのであります。
だから篠崎さんが、「私はこんなに砲弾の炸裂(さくれつ)により大腿部の大骨折を来(きた)したのだから再び起てない」と思っていた間は起ち上ることができなかったのでありますが、「私は神の子であるから病気はない、負傷もないのだ、完全だ」と思うようになったときには完全な健康体に恢復したのであります。
しかも篠崎さんは、「身体が健康になったときに神を讃え、家族の誰かに病気が起ったと言っては信仰を失う」ようなニセモノの信仰に陥るようなことはせられませんでした。
昨年七月四日長男雅男君が“急性マヒ”という症状で、その霊魂が昇天せられました時にも、「人間は肉体ではない、肉体は念の影であって、地上生活の期間中の皮袋にすぎないので、自分の長男は地上生活の使命を終ったのであって、肉体は死んでも長男の生命は生き通しだ」と悟られ、長男の生命保険金三万円を人類光明化運動の基金として献金せられ、八月一日からの本部の教修会にも参加し毎月自宅で誌友会をひらいて、隣人の救済につとめていられるのであります。
篠崎さんのこの体験談は昭和三十三年十一月今治市で生長の家の講習会があったとき発表せられたものであり、その原文は資料部に保管されてあります。
<この項 完>
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