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Web誌友会 板/2
302
:
トキ
:2013/02/19(火) 09:49:00 ID:9wlISb0c
>>295
初心者様
ご投稿、ありがとうございます。
>>本流独特の尊大さは、「固体の実相」を取り入れたことに源流があるのではないか
>>とわたしはみております。「固体の実相」を否定できれば、雅春先生の教えは特別
>>なものではなくなり、本流はその尊大さを維持できなくなると考えております。
うーん、まあ、本流復活派と言われる人達の中には、確かに尊大な人はいます。でも、
教団側にも偉そうな人はいます。さらに言えば、先日書いたように、他の宗教団体になる
と偉そうな人はもっとたくさんいます。宗教団体に関係ない人になると、尊大な人はゴロゴロ
います。
つまり、誰かが尊大な事は、教義の問題ではなくて、その人の問題だと思うのです。
だいたい、谷口雅春先生は、生長の家の幹部や講師は威張ってもよい、とはどこにも
書いてないと思います。むしろ、静思集なんて本を拝読すると、先生と言われる事は
危ない事だ、といぐらい書かれています。
だから、生長の家を自称する人が、尊大な態度を取るのは、その人が実は、信仰という
ものを本当には分かっていない、という事を意味するだけだと思います。
大事な事は、生長の家を自称する人が尊大な態度をとるのを見たら、自分はそうでないか
と省みる事だと感じます。
余談ですが、ソルジェニーツィンの収容所群島の中で、「善と悪をくぎる線は、民族の
中にあるのでもなく、宗教の中にあるのでもなく、イデオロギーの中にあるのでもなく、
人の心の中にあるのだ」と書いています。
と、思いますね。
合掌 ありがとうございます
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