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Web誌友会 板/2

3507神の子さん:2013/12/22(日) 18:01:14 ID:NYUcBHWQ

  >>3503  reiさん

 【復興Gさまが論破してくださり、逆に私は嬉しかったですね。曵馬野さまは答える事も出来なかったではありませんか。】

私は論破されてぐうの音も出ないと云われるのですね。では皆さんにお聞きしましょう。

生長の家では大生命の存在と共に個生命の永遠を信じるものであります、とありますよね(七つの光明宣言の解説の二)。 としますと

神が実在の世界に於いて、個生命として実在の完全なる人間を創造したと云うことになります。

そこで疑問

 現象界、これは霊界も含めた全宇宙という意味ですが、に存在する個生命は有限でありましょうか?

  有限でありますと、生まれ変わりをさんざんして魂の磨きをし、実在そのものの影を映し出すまでの魂に、全個生命が
  成った暁には、何処で(現象的に)生活するのでしょうか?
  (これは逆に言うと実在界で個生命として完全に生きていながら、何故現象界に顕現しなければならないかと云うことでもあります。
  無限のままでは何も表現されないから、との意の説明が巷ではされている。それでは実相世界が美しいものであると云うことは云えない。)

  高級霊は地上を卒業して高級霊界に転生すると云われていますね。地上には霊魂、人間は一人も居なくなる訳でしょう?
  高級霊になると他に転生してしまい、他の天体から低級霊が地上に転生してくる(これは50年頃の理誌に書かれている)
  のであれば、地上天国は如何にして実現できるのですか?
  何故完全な個生命の人間が、低級霊の姿を現じなければならないのですか?
  完全な個生命の実相人間が、何故影とは申せ不完全な姿を現すのでしょうか?
  
  いつの日か実相人間さながらの影を映し出すことが出来ると云うのならば、本来完全であった人間の影が何故不完全に映るようになったのでしょうか?

  
  七つの光明宣言の解説の二には
  
  【吾々が『生命』として顕現れて来たと云う否定できない事実から出発するのでありまして理屈ではないのであります。吾々は事実上生まれてきて
   生長しつつあるのであります。この事実より考えるとき・・・・】 と書かれています

  生長の家の教えは現実の認識から出発しているのではありませんか?
  現実の生活の改善というものが先に有り、あとから実相論が説かれているように見えます。
  
  「人間はこの世界に生まれてきたことはない」と説かれ、念のフィルムを通してそのように観ているだけである、だから病人とみている自分の観念を
  この人は病人でないという思いに替えれば、即健康な人になる、その無病なりとの信念になるのには、それぞれの人に応じて時間は変わるけれども、
  時間は本来関係がない、「吾らが真に実相の中に超入し得る底の神想観の境地に達して病気は無いと念ずれば瞬時の想念がよく完全にあらゆる病気を
  消滅せしめ得べきであるのである」
  と云われているのに何故「雅宣先生が病人である」と云うのならば、悟りを得たと云うような言い方の本流派、また復興Gさんは雅宣先生の病気を
  消滅させることが出来ないのですか?

  「全人類は同一の共通的心をもっていると認めなければならないのであります。その人間共有の一つの心を称して吾々は神とよぶのであります。」
  
  神癒への道p107〜「省略・・時間がありません・・・どなたか書いて下さい」には『それを不完全であり不健康であると観た間違いを懺悔し切り、
  無条件に実相の完全さの前に降伏することなのである」と説かれています。

  復興Gさん、また本流派の指導者の過っての本部講師さん、あなた方が何か現象に対してもの云えば云うほど、神癒への道に説かれている真理に
  私たちは反していますと表明することになるとは思いませんか?
  『それを不完全であり不健康であると観た間違いを懺悔し切り、無条件に実相の完全さの前に降伏することなのである』を実践していると云われますか?
  生長の家を復興するなんて烏滸がましいことだと思いませんか?
  生長の家の真理を真に理解している、また体得しているというのであれば、『神癒への道』を何十辺何百辺と読まれ真理の実践者となること、
  それでこそ復興を名乗り本流を名乗る価値があると思うものであります。


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