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Web誌友会 板/2
3278
:
復興G
:2013/11/02(土) 09:27:30 ID:AB6RqYXc
おはようございます。
11月の 『光明法語』 後半の方で、魂にひびいたお言葉――
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
十一月十九日の法語 心柔和なる者
氷山が(個人の喩<たとえ>)顧みて自分の脚下(きゃっか)を見るとき、自分の存立が自分によって成立っているのではなく、海水によって成立っているのだと知るとき、自己の高慢が摧(くだ)けるのである。これをパウロは 「自己に死にたる者」 と言い、洗礼のヨハネは 「悔(くい)改め」 と言い、イエスは 「柔和なるもの」 「へりくだれる者」 「貧しき者」 「悩めるもの」 「振返りて幼な児の如くなれる者」 などが神の国に人る事が出来ると言ったのである。「わしが……わしが……」 と云う自己が摧(くだ)ける事が必要である。
十一月二十九日の法語 無条件降伏
神への無条件降伏こそ、無条件[幸福]の源泉である。無条件降伏はただの観念の問題ではなく、それは一つの実行である。それは、上衣(うわぎ)をとらんとする者には下衣(したぎ)をも与え、十里の公役(こうえき)を強(し)いられなば二十里を行き、右の頬を打つものあらば左の頬をも打たしめる実行である。これを実行したときに奪われた上衣は戻り、敵は味方となり、二十里を行って益々疲れず愈々元気旺盛となるのである。与えることのうちにこそ、すべての自由と、無限供給の源泉があるのである。
十一月三十日の法語 与えよさらば与えられん
「求めよ、さらば与えられん」 と教えられている。併(しか)し 「与えよさらば与えられん」 と云う事は更に真実である。子供が重病に罹って医者が手を放した様な場合に、「神よ、この子を是非いやし給え」 と祈るよりも、「神よ、御心のままになし給え」 と完全に神に対して、自分の子を与えてしまった方が、癒えるる事が早い。何故なら、 「是非いやし給え」 と祈っている時は、その子の親の執着が子供の生命を縛っているけれども、神に与えた時には執着で子供の生命を縛る事がない。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
ありがとうございます。
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