したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

Web誌友会 板/2

1278復興G:2013/05/21(火) 12:38:38 ID:AB6RqYXc

<昭和15年4月9日 名古屋公会堂に於ける谷口雅春先生ご講演 つづき 17>

 日本主義は結構でありますが、本当の日本主義は「八紘一宇」主義ですから、一切を包容する精神

でなければなりません。狭く凝り固まった日本主義の人達の中には、天照大御神様を日本特有の神様

であって外国の宗教の神仏と一緒にしてはならない、それは天照大御神の尊厳の冒瀆になるとお考え

になっている方もあるらしいのであります。特有とか特別とか申しますと何だか豪(えら)そうですけれども

普遍性がないと云う事であり、地方的だと云う事であり、どの民族からも共通的に礼拝せられる宇宙

的本尊とはなれないと云う事になり、神武天皇様の八紘一宇の理想から遠いと云う事になるのであり

ます。八紘が「一宇」となったら、「日本特有」などと云うものはありませぬ。だから「日本特有」

等と云う言葉を私は取除きたいのであります。天照大御神様はそんな小さい神でなしに、宇宙の大神

であられる。他の宗教の神はことごとく、宇宙の大神の垂迹(すいじゃく)あそばされたものであるから、一切宗教

の本当の本尊を拝むには天照大御神を礼拝すべきであると私たちは信じているのであります。そうす

ると、仏というもの、キリストと云うものも日本の神と同体の神であらせられるということになるの

であります。

 名古屋、北陸、広島地方は真宗の盛んなところでありますが真宗の人の中には、日本国に生れながら

日本の神様をお嫌いな人が多いようであります。そうして「私は阿弥陀仏一仏を信ずるのである、阿

弥陀仏さえ拝んだら好い、他の神様を拝んだら罰が当る」斯う云って、中には天照大御神様の御璽(みしるし)さ

えもお祭りにならない方もあります。日本神国に生れながら、お釈迦さんが印度で説いた阿弥陀仏だ

けが本当であって、日本の神は特別のものであるから信ぜられないと云っているようでは誠に寒心す

べきであって、日本一国でさえも、信仰的に一つにまとまらないことになると思うのであります。茲(ここ)

に宗教的にも他民族の神様さえも一つに包容して八紘一宇即ち“人類皆同胞”の理想に帰一せしめな

ければならないのであります。その働きを以て出現あそばされた神が塩椎神であり、「生長の家」な

る教化運動出現の使命も其処にあるのであります。ですから日本の神様も特別扱いしないで、普遍性、

八紘一宇性を以て大きく解釈しなければならないのでありまして、日本主義の方も、仏教の方々も、

仏様と神様とは異るなどと云う宗教的批判に捉われないで、神の実相、仏の実相を見て、「神々はみ

んな御一体」と八紘一宇的度量を以て解釈して頂きたいのであります。


 釈迦牟尼仏と生長の家

 『生命の實相』の何処かに説いてあるから皆さんは知っていらっしゃるかも知れませんが、富山県の

砺波(となみ)郡と云うところに梶喜一郎という人があった。その人は元来真宗の熱心な信者であります。三十

年程前、安吉先生といって真宗の偉い坊さんが富山県にあったそうであります。非常な傑僧で「念仏

一道」を説いていられた。附近の町村民は甚だしくこの安吉先生を随喜渇仰してその先生のお寺へ行

ったものだそうであります。特に御婦人の方々のうちには随喜渇仰して家を空けて夫のことさえ忘れ

て寺へ籠って法悦に浸っていると云うような狂信状態さえ惹起し、家庭争議が到る処に起ったと云う

程に魅力のある坊さんだったそうであります。ところがそのお坊さんがお亡くなりになる時に、自分

が死んでから長きのちに、自分の教と同じ教をする人が出て来ると被仰ったそうであります。その

「自分が死んでから長き後」と云えば何年後のことか知りませんけれども、梶喜一郎さんはその安吉

先生の信者だったそうです。
<つづく>


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板