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Web誌友会 板/2

165初心者:2013/02/15(金) 13:31:27 ID:4YcI.wfQ
復興Gさま

わたしはこちらで大勢のおそらくは敵対する勢力を相手にやりとりをしているつも
りですので、このことによって過剰なプレッシャーにさらされることがあり、そのこ
とで感情が左右されることはあるやもしれませんが、そのほかのときに感情的に
なることはほとんどないと考えています。

以前も復興Gさまが、わたしの発言を「怒り」と表現されたことがありましたが(自
然状態と文化的状態のやりとりをしていたときです)、わたしはぜんぜん怒っては
いませんでした。

ひとつの手法として怒りモードで書くことはあります。昨晩の書き込みもそうでし
た。あれを読めば「感情的」ととる人もおられるでしょうけども、わたしはまったく
冷静にあれを書きあげました。むしろ「るんちゃん」への返信に多少の感情が入り混
じったことを自覚しています。

感情の話はこれくらいにして、総裁こそがダブルバインドをかけているとされる
発言はなるほどとおもいました。実感はありませんけども、そういうことがあった
としても不思議なことではない気がいたします。

実態は存じませんが、現総裁が現実の問題に取り組まれているのはたしかなこと
なのでしょう。「ない」はずの現象に取り組むのはたしかに矛盾です。たとえば経済
活動ですが、これも「ない」はずの現象世界での活動という意味では矛盾です。

ですけども、この矛盾がなければ現代の世の中は成り立ちません。アリストテレス
は、生命体としての国家のなかに生理現象としての経済活動をみいだし、それを
「エコノミー」と名づけたといわれているように、国家という生命体にとって、経済
活動はなくてはならない生理現象ということがいえるはずなのです。

環境問題はエコノミーの結果ですね。環境破壊は、国家という生命体の生理現象
によって生みだされたものだ、ということがいえますね。環境破壊を真理の側から
みたとき、それを現象一辺倒の活動とみなすことができるのでしょうか。

環境が破壊されたのは、国家の生理現象が正常におこなわれなかったからでは
ないでしょうか。環境活動が、もしもこれを正常にもどそうとする活動であったとし
たとき、それでもこれを「虚説」のひと言で片づけてよいということになるのでしょうか。

話を変えます。

ダブルバインドということでいえば、「実相世界」と「現象世界」の関係はダブル
バインドとはならないのでしょうか。「実相がある」、「現象はない」をそれぞれの
メッセージとしても、両者の関係を説明しうるメタ・メッセージがおそらくどこにも
存在しないはずなのですね。

ダブルバインドは、ゲシュタルト心理学では「袋小路」というそうですけども、「実相
世界」と「現象世界」の関係を説明するメタ・メッセージをいくら得ようとしても、
文字どおりの「袋小路」に入り込んでいくだけなのですね。

こうした袋小路を抜け出すには、考えるのをやめる、という方法しかなさそうです。
考えるのをやめてメタ・メッセージの追求を放棄しさえすれば、「すべてがわかっ
た」という感覚になることも可能です。

20年前のわたしがそうでした。「すべてがわかった」とする感覚につつまれていま
した。もちろん今でもそうした感覚を得ようとすれば、いつでも得ることができます。

「すべてがわかった」という感覚につつまれていた当時のわたしは、自分のことを
とても偉いに人間だと思いこんでいました。世間の誰もがバカにみえていました。

「実相世界」と「現象世界」はダブルバインドです。考えることをやめないかぎり
解消することのできない袋小路です。考えることをやめた人にとって、すべての
ことは自明です。「人間知を超越した自分は世間の誰よりも偉い」。これが自明の
こととなります。


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