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Web誌友会 板/2

755復興G:2013/04/22(月) 12:10:41 ID:AB6RqYXc

>>754 :トキ様
ありがとうございます。

>>谷口雅春先生は、講演などで遠方に行かれても、休み時間にせっせと原稿を書かれていた<<

そのお原稿は、そのまま地方の教化部などに置いて行かれたわけではなく、いったんは日本教文社編集部に届けられ、活字となって神誌などに掲載されてから、本部会館建設や地方の教化部会館建設のために献資した人たちに、お礼として賜ったものであると思います。

いずれにしても、先生はすべての時間も労力も書かれたお原稿も、神からの賜物として、私することなくすべてを捧げ尽くされた、と言えると思います。

私も、己を無にして、献げる生き方をしたいと願い思います。

賀川豊彦さんの、「神の祭り」という文章を思い出しました。

          ○

「聖パウロは言った。 “その身を活ける供物として神に献げよ” と。
五尺の鯉を神に祀ることは最も愉快なことである。
   (注。「五尺の鯉」は、人間を意味する)
 吾々の生活の凡てが神への供物であり、祭であるのだ。
 祭だ、祭だ! 花火が上り、楽隊が聞えるではないか。我々の生涯のあらゆる瞬間が神への祭だ。表に五色の旗が翻らなくとも、魂の奥には、永遠の燻香が立ち昇る。神への燔祭は、我々の赤き血そのものである。

 若き小羊を捕えて神に献げよ。全き小牛と全き小羊を神に献げよ。日本の若者の魂を捕えて神に献げよ。神への奉加は、吾々の生命そのものであらねばならない。吾々の玉串は、生霊そのものであらねばならぬ。完全に我々の全生命を神に祀ろうではないか。我々の肉体、我々の生活、我々の精神、我々の学問、我々の芸術、そして我々の道徳を神への献げ物として八足台に献げようではないか。

 永久の祭だ、永久の歓楽だ! 不滅の花火、無限の祝典、生命の神饌は永劫に尽くべくもない。両国の花火はなくとも、我々の心臓のうちには、不滅の血が花火以上に赤く爆発する。」

          ○

 ありがとうございます。


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